9/22である。
これから、土曜に行ったイベントの打ち上げがあるらしい。
ほとんど何も貢献できていないから、顔だけ出して帰ることにしようかと思う。
・・・・・・。
いや、単に身体休めたいだけなんだけど。<最初から正直に言え>
3年くらい放置していた泡盛の小瓶、持っていこう。
誰もあたりませんように。
・・・・・・。
自分で飲めよ。

失って初めて気づいた
あのときの僕を支えていたのは
紛れもなく
夢だった


あれほど馬鹿にして
あれほど見るなと戒めて
あれほど信じていないふりをして


でも
まぎれもなく
僕の支えは夢だった


自尊心でも自愛でも
音楽ですらなかった
あんなにも見ないふりをしてきた
夢だった


失って初めて
バランスを失って墜落して
初めて
僕は僕を支えてた夢に気づいた

皆が何故そんなにも求めるのか、不思議でならなかった。
皆が何故支えを必要としているのか、理解が出来なかった。
自分は強い人間だと思い込んでいた。
誰も必要としていなかったから。


だが、それは自分を支えているものの存在に気づいていなかっただけなのだ。


不安定なものが嫌いだった。
人の心は移り変わる。
それは何よりも自分の心を見ていればわかる、絶対に確かな真理だった。
自分が信用できないように、他人も信用できなかった。
だから私は、自分の支えを外に求めることを自らに禁じた。


結局、私は盲目だったのだ。
自分を支えている他人よりも不安定で、宝くじよりも不確かな支えに気づいていなかった。
その夢を支えていたのは過信だった。
誤った世界認識と、それ以上に誤った自己認識だった。
そして、時は来た。
時限爆弾は、寸分の時も過たず、自らの役目を果たした。


ただ1つ、愚かな自分の認識の中で的を射ていた分析があった。

我に力を、さもなくば死を

確かに、私はそれに全てをかけていた。
それがうまくいかなかった場合、私に残された選択肢は死しかなかった。
目的もなく、恥を忍んで生き続けることは出来なかった。
そのはずだった。


そいつがどこから現れたのかは解らない。
だが、私の動物的本能に由来するものでないことだけは確かだ。
もしそうならば、「死の衝動」が既に私をこの世界から消し去っていたはずだからだ。


そいつは巧妙な手口を使った。
そいつは(わたし)を籠絡することから始めた。
そいつはまず、(わたし)に「夢」に対する譲歩を迫った。
「現実」という凶器を突きつけて。
それからそいつは徐々に私が「夢」を諦めるように、そして最後には「夢」の意味を最初のそれとまったく違うものに変えることに成功した。
「本当にしたいこと」という殺し文句を利用して。
(わたし)はだんだん、自分の望みが解らなくなってきた。
「もしかすると私はこんなことがしたかったんじゃないか」、そう思うようになっていった。


そいつは「結果」という最終兵器で、(わたし)の(当初の)「夢」にとどめを刺した。
勿論、その前に「時限」という罠を張っていたのは言うまでもない。
そして、主導権はそいつの手に移った。
私は、死期を逃した。


気がついたら私は、多くの「常識的な」人に混じって、大衆消費社会の流れの中で、規則正しい運動を行っていた。
そいつは勝利を確信したに違いない。
だが、完璧に見えたそいつの計画にも誤算があった。


そいつが唯一制御できなかったものに、私の身体があった。
そいつは何とかそれを制御しようと、様々な手を尽くした。
が、結局身体である私は、そいつの命令に屈しなかった。


そいつは単純なやつではない。
制御しきれないと見るや、そいつは作戦を変えた。
「緩やかに消滅する」
これがそいつの新しいスローガンらしい。
騙し誤魔化し生かし続ける。
(わたし)が絶望を抱いて極端に走ることを避けるために、偽の「夢」をこしらえ、バランスを取り、インセンティブを与え、モチベーションを維持させる。
だが、それすらも、破られるのは時間の問題である。


(わたし)は気づいてしまった。
今私を支えているかに見える「夢」がただの張りぼてであることに。
魔法は気づいたときに解ける。
支えを失った私は、急落する。
そいつにそれを止めるすべはない。


今、私の命運を握っているのは恐らく身体としての私だろう。<わたし>は主導権を失いつつある。
(わたし)は既に抜け殻だ。
これから先、(わたし)にも<わたし>にも理解不能な行動を私はとり続けることになるだろう。
だが、それは、もはや既に私の興味関心の対象外である。
私は綴る。
私が私であり続ける限り。

仏陀は間違っていた
人は求めないことは出来ない
何故なら、既に人は手に入れてしまっているからだ
求める前に既に手に入れてしまっているのだ


求めるのは、ゼロからプラスへの志向ではない
マイナスから元のゼロへの志向なのだ
人は求める前から手に入れてしまっている
そしてそれに気づいたときにはもうそれは失われてしまっているのだ


求めないというのはゼロの境地ではない
マイナスだ
求めて手に入れて初めて人はゼロになれるのだ


時に手に入らないことがあるだろう
それは確かにマイナスである
だが、手に入ったとしてもゼロになるだけなのである


求めて手にはいるとしても一時的なものにすぎない
それは確かだ
しかしその時人はプラスではなくゼロになっているにすぎない


求めて手に入れて初めてゼロになれるのだ
それはほんの束の間の幸せかもしれない
だが、求めないということはその束の間の幸せまで放棄するということだ


求めるからマイナスになるのではない
人は最初からマイナスなのだ
求めて手に入れることでゼロになれる
そして手に入らなくてもゼロの時を思い出してマイナスに耐えることが出来る


求めない人は既に与えられている人だ
求めなくてもゼロになっている人だ
その人が幸福なのは当たり前だ


多くの人はやはり
求めて
失って
また求めて
手に入らない幸せを追い求めて
そうやって生きるしかないのだ


ほんの少しのプラスと大きなマイナスか
永遠のゼロか
そんな選択肢は始めからない


永遠のマイナスか
ほんの一瞬のゼロとその記憶を持った状態でのマイナスか
その2択なのだ


それでも貴方はまだ
幸せを求める人々のむなしい努力を
嗤うことが出来るだろうか

・・・・・・。
なんか、この2つが並ぶことが普通になってきたな。
そんなに体調が悪いなら、バドミントンに行くなよ。


この日は、先々週よりはややましかな、と思って行った。
雨もちょうどやんでいたし(晴れ男♪)<しつこい>、これは、久々に何事もなく終わるのでは・・・というのは、やはり甘すぎた。


始まって1時間くらいは、ここしばらくでもっともよい状態だった。
だが、この日は何故かこのクラブにしては珍しく(失礼!)厳しい試合が続いた。
で、久々にハッスルして・・・。
どかん


というわけで、いつもの通り暴発したのでした。
・・・・・・。
いい加減休めよ、ポチ。
ワン!

ハリー・ポッター裏話 (作者と話そうシリーズ (Vol.1 J・K・ローリング))

ハリー・ポッター裏話 (作者と話そうシリーズ (Vol.1 J・K・ローリング))

書名:ハリー・ポッター裏話 (作者と話そうシリーズ (Vol.1 J・K・ローリング))
著者:J.K.ローリング, リンゼイ・フレーザー(松岡佑子:訳)


・・・・・・。
何読んでんだか。
(ち、ちゃんと技術書も読んだぞ)<はいはい、20ページくらいね>


土曜日の夕食会でハリーポッターの話題が出たので読んでみた。
東京の某ちり紙交換の店で100円(半額セールで50円!)で見つけたので一応抑えておいたのだが・・・。
駄本。
駄本中の駄本。
もうこれは、中盤の山場くらいまでしか攻略が載っていない攻略本くらい意味のない本。
(そんなマニアックな書き方で解るかよ)


読む価値があるとしたら、前半の著者インタビューくらいだが、この時点でまだ3巻までしか出ていなかったので、内容に関する話もほとんどなく、著者自身によほど興味のある人でないと読んでも何も面白くない。
ちなみに私は著者の来歴なんぞにはまったく興味がない。


「裏話」とは、聞いてあきれる。
何のために出たのかよくわからないただのファン本。
読む価値なし。

書評、である。
カテゴリミスではない。


東京の某ちり紙交換の店で、上記CDの限定版を見つけた。
限定版なんぞにはついぞ興味を示さない私であるが、このときは、値札も見ずに(嘘つけ、しっかりチェックしていた癖に)<そりゃ、予算オーバーなんだから、チェックしないとまずいだろ>即買いしてしまった。
ああ、外野が五月蠅い。


何故かと言えば、植松師匠のエッセイが限定版の特典だったからである。
世界広しといえども、私が師匠と呼ぶのは、ただ1人、植松伸夫師匠だけである。
音楽の師匠であることは勿論、生き方そのものが私にとっての理想、すなわち人生の師匠である。
師匠の書いたエッセイは勿論買って読んだ。

みんなそうなの? (ファミ通Books)

みんなそうなの? (ファミ通Books)

楽して暮らしてぇなぁ。

楽して暮らしてぇなぁ。

(残念ながら当時まともな書評は書いていない)
師匠の音楽は、ほとんど毎日聴いているし、年の8割は、寝ている間もずっとかかっている。
1度だけ師匠のコンサートに行った。
(今は東京を離れているので行くことができない)
師匠の音楽を聴き、師匠のエッセイを読むために、ファンクラブにも入った。
(人生で初めて。残念ながら昨年度限りで終了してしまったが)
要は、師匠である。


そのような師匠が書かれたエッセイ(しかも非売品!)を目の前にして、予算オーバーなど風の前の塵に同じ。


とはいえ、やはりCDの付属品。
あまり期待は出来ないんだろうなぁ・・・というのは、過ちであった。
し、師匠。
申し訳ございませんでしたぁ〜!


いや、ほんと、師匠ですよ。
この人の生き方、人の生き方の王道ですよ。
自由奔放に生きているのに一生懸命で、夢ばかり追いかけているのに関わる人全てを幸せにして、何でこんな生き方ができるんですか、師匠。


そして師匠の世の中を見る眼の鋭いこと。
そこら辺の似非有識者なんて簡単に論破されまっせ、師匠の鋭い批評に。


さらに、師匠の発想の豊かなこと。
さすが、数多くの名曲を紡ぎ出した想像力。
ここまで柔軟でとらわれない発想が出来る人は日本人では珍しい。
1作曲家にしておくのは非常に惜しいと思うのは私だけではないだろう。
師匠、何かやりませんか。
師匠なら日本の政治を変えられるかも知れませんよ。


そして何よりも、師匠の思いやりの深いこと。
やはり音楽には性格が現れるのである。
あれだけ美しい音楽を作り出す人の心は、やはり美しい。
テーマもなく、制約もない、エッセイにはその人の心がよく現れる。


師匠の音楽を聴いたことのない人が師匠のエッセイに興味を持つことは些か難しいことかも知れないが、「夢を実現した異色の作曲家」という位置づけならば、ほとんどどんな人でも読むことが出来るはずだ。
そして、本書は万人に勧められる良書である。
特に「インド編」がお勧め。
・・・といっても、非売品なんだよね。
どうしても読みたい人は私から直接借りてちょーだい、ということで。


ちなみに、このCDでは、冒頭のSCENEⅢと(アンコール扱いの2曲を除いて)最後のSCENEⅦが秀逸。
以前人に紹介したときに、SCENEⅢを「夢の始まり」、SCENEⅦを「夢の終わり」として紹介したが(その時、その間にちょうど曲名が『夢の岸辺に』という光田さんの曲があったので、テーマは勿論「夢」となった)、まさにその名がふさわしい名曲である。
他には、『遙かなる故郷』というボーカル入りの曲が良い。
ボーカルは素人らしいが、澄んだ良い声で、勿論歌も良い。
いわゆる「ベスト」盤なのだが、師匠の独創性溢れる編成となっていて、「あ、何となく聞いたことある、これ」といった曲から、「え、これ、ファイナルファンタジーなの?}という曲まであるが、よい曲が揃ったアルバムである。
曲の方も是非。