だから「僕は結婚しない」

良好な人間関係を持続しようと思ったら、相手の「聖域」には踏み込まないことである。
どこがその境界であるかは、さぐりながらでしか解らないが、とにかくそこには入っていかないことである。(時にうっかり踏み込んでしまい、その過剰とも言える拒絶反応で判明する場合があるが、それは不幸な例である)


独りでいることのメリットはここにある。
相手との良好な人間関係を保ちやすいのだ。
互いに決めた線の範囲を守るようにすれば、「完全平和」が現実のものとなる。


「結婚」が難しいのは、まずは互いの「聖域」の探り合いに疲れるからであり、次にどうしてもそこに踏み込んで行かざるを得なくなったときには相当な消耗戦となるが、ここでお互いに「うちてしやまん」になってしまう危険性が潜んでいるからであり、何よりもそのことに対してどちらかが無自覚であった場合は、爆弾を抱えたテロリストをなだめすかして納得させ、互いに協定を結ぶところから始めなければならないというところにある。
最も短期に決着が付くのは互いが無自覚で有った場合である。
その時はど派手な「夫婦最終戦争」の結果、双方焼け野原となったあげくに、「平和維持軍」のお出ましとなる。
勿論、双方熱が冷めるまでは接触しないよう、西と東に引き離される。


「結婚」というものはそういうものだ。
尤も最近は、あらかじめ「同棲」という共同軍事演習を経て、実際の戦場に臨むことが増えているらしいが、どれだけ「最終戦争」の回避に役立っているかは定かではない。


ちなみに。
「恋愛」の時期の場合は、互いに相手を通して最大限に自己愛を満足させている時期であるから、以上のような衝突は起きにくい。
不都合な真実」は「友愛」という名の増幅された自己愛によって霞んでしまっている。
尤も、乳児が全能感を奪われ、「象徴界」に投げ出されるのと同様に、何かのきっかけで訪れる「冷静」の時に、不幸にも「想像界」から「象徴界」へと飛ばされてしまった場合には、同じような事態が待ち受けているわけであるが。