答えはすぐ近くにあった

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」

書名:エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」
著者:河邑厚徳(グループ現代)


■評価:良
  情報:○ 新規性:○ 構成:○ 日本語:○ 実用性:△
  難易度:やや難 費用対効果:○ タイトルと内容の一致:△
  お勧め出来る人・用途 :現在の資本主義のあり方に疑問を感じている人・資本主義に変わりうる(共産主義でない)理論に触れる
  お勧めできない人・用途:共産主義者(社会主義者)・資本家や不労所得を非難する


■所感
 始めに断っておくと、本書は共産主義思想の書ではない。
 何せ、かのケインズが、本書の理論的基盤であるシルビオ・ゲゼルの理論を評価しているくらいなのだから。
 更に付け加えると、ゲゼルはマルクスの「労働価値説」を「間違っている」と明確に否定している。
 彼の理論では、「付加価値」は、貨幣そのものの持つ性質から発生している。
 すなわち、他の財と異なり、「劣化することがない」という性質である。
 従って、貨幣を所有する者は、「劣化する財」を生産するものに対して常に有利な立場にある。
 彼らには余裕があるが、「劣化する財」を持つ者はそれが「劣化」してしまう前にそれを取引したい。
 この取引は、完全に貨幣を所有する者の「売り手市場」である。
 貨幣を所有するものは自らに有利な条件で「取引」を行うことが出来る。
 「利子」なるものも、ここから発する。


 と、一気に書き立ててしまったが、本書の要点は以上となる。
 「エンデの遺言」と銘打っているが、エンデが登場するのは始めの方だけで、後はひたすらシルビオ・ゲゼルの貨幣理論とその歴史的経緯の話。
 まあ、本当は「エンデが語る」となるべき企画が、エンデが亡くなってしまったことにより、「エンデの遺言」となってしまった、というだけなのかもしれないし、方向性としては、エンデ自身がゲゼル理論の信奉者であることから、間違ってはいない。


 かの有名な作品『モモ』は、現代人の「時間」に対する感覚に一石を投じている作品であるが、実はエンデがあの作品で書きたかったのは「お金」の話である(確かに、『モモ』に出てくる「灰色の男」たちは時間「銀行」の銀行員であった)、という、エピソードから本書の話は始まり、エンデのインタビューを経て、シルビオ・ゲゼルの貨幣理論に至る。


 核心はやはり冒頭に述べた「貨幣」の「劣化しない」という性質がもたらす経済の「歪み」への指摘であり、それが象徴的に描かれているのは、本書のちょうど半分のあたりに引用されているシルビオ・ゲゼルの「ロビンソン・クルーソー」の譬えである。
 ゲゼルはこの「劣化しない貨幣」に対して、「劣化する貨幣」を提唱している。


 本書では、この「価値が劣化する貨幣」の実践例として、いくつかの「地域通貨」の事例が紹介されている。
 が、その部分は些か退屈である上、客観的な視点に欠けた「地域通貨礼賛」のような紹介になってしまっているので、その部分はあまり高く評価することは出来ない。


 「貨幣」というものに対する問題提起、現在の資本主義に対する批判、代替案としての「劣化する貨幣」(とコミュニティ通貨)という入り口として、本書は読まれるべき本だと思う。
 ああ、こういう方法があるのか、という啓蒙の書、というのが本書の位置づけで、ここを出発点として、「では具体的にどうするか」を考えることになるだろう。
 共産主義ではない、資本主義に対する数少ない代替案の1つであるはずなのだが、本書だけではまだ理論としては弱い。
 本書で紹介されているような「コミュニティ通貨」は、実際には未だ、既存の資本主義の補完程度の力しか持ち得ていない。
 シルビオ・ゲゼルの理論は、もっと大きな、それこそ「第4の道」となりうる可能性を秘めた貴重な理論であると思われるので、本書でそれに興味を抱いた人(私も含めて)は、次のステップとして是非彼自身の書いた本に挑戦するべきだろう。


 本書は私にとって2度目の読了である。
 それにしても、前回読んだのは確か高校生の時だったと思うが、いったいどれだけ理解できていたことか。
 あの当時は「アンチ・コマーシャリズム」という明確な軸がなかったので、本書は興味深いながらもこれほど重要な書籍であるとは認識出来なかったのだろう。
 もし、これを大学2年の時に読み返していたら、おそらく私は間違いなく卒論のテーマにシルビオ・ゲゼルを選んでいただろうから。
 

 まあ、卒論という形などどうでも良い。
 私は本書を土台に、次のステップに進む。


■読了日
 2010/02/19