師との決別
現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)
- 作者: 見田宗介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/10/21
- メディア: 新書
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書名:現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)
著者名:見田宗介
■評価:秀
情報:◎ 新規性:◎ 構成:◎ 日本語:○ 実用性:△
難易度:難 費用対効果:◎ タイトルと内容の一致:△
お勧め出来る人・用途 :現在の資本主義経済に疑問を抱いているが、何が問題なのか整理できていない人・マルクスの予言が外れた理由と現在の資本主義が抱える根本的な問題について考察する
お勧めできない人・用途:漠然と「現代社会」のことを知りたいと思っている人・「現代社会」について語る即席の知識を身につける
■所感
見田先生と決別するときが来た。
本書読了後の読後感として、このように感じた。
本書は学生時代から、私が現在の「消費社会」を理解する上で、バイブルとしてきた書籍である。
読了も既に5回を数えるほどである。
何か問題を感じたときには、必ず本書に帰って、その問題の本質を看取するための理論的基礎としてきた。
今回読み返したのは、改めて自分の「反資本主義」的経済思想(しかし、「共産主義」ではない)を整理する必要のためである。
私の「アンチコマーシャリズム」の原点は、本書である。
「欲望の必要からの離陸」という妙言が、当時、もやっとした違和感をうまく表現できなかった私に言葉を与えた。
爾来、私は本書で分析されている「資本主義と欲望」という切り口で、考察を深めてきた。
分岐点はいったいどこだったんだろう。
本書の問題意識は大きく分けて以下の2つになる。
- 資本主義の発展は、「必要」の地平を離れた過剰な「消費」によるものであり、この大量消費は「持続可能な」ものではない
- 貨幣経済の押しつけが、「必要」の定義を変え、「貧困」を創出した
当初私の関心は2.の方にあった。
2.に関しては、今も著者と同じ立場を取るが、残念ながら私の興味関心における、この「貧困」、或いは「押しつけられた格差」のプライオリティはだいぶ下がってしまった(「貨幣経済の押しつけ」という問題意識はまだ持っているけれども)。
現在、私が論理武装を急いでいる「アンチコマーシャリズム」に関係する1.について、私は自分の勝手な思いこみで、見田先生が自分とまったく同じ問題意識を持っていると思い込んでいた。
だが、今回、久しぶりに本書を精読した結果、実は私と先生の立場とは全く異なるということが明らかになった。
マルクスの予言が外れ、資本主義が未だ発展・拡張をし続けている(昨今のアメリカ発世界同時不況で水を差される形となったが)のは「欲望」が「必要」の地平を離れて拡大し続けているからである。
例えば、原価わずか約3ドルのトウモロコシを加工して、「ココア・パフ」という商品名をつけると、これが約75ドルで売れるのは、明らかにそれが食物としての「必要」を超えた人間の「欲望」を喚起したからである。
このように我々の「欲望」は「必要」の大地から離れた地に足のついていないものとなっており、ひとまず自らの「欲望」を冷静に分析して、「欲望」を「必要」の地平から考え直す必要がある。
ここまでの認識は同じである。
しかし、私が、「欲望の漸進的な縮小」を理想とするのに対して、見田先生は、地に足がついていれば、そこから仰ぎ見ることのできる「無限の」欲望空間を肯定的にとらえる。
特に、以下の文章は、私にとって大変衝撃的で、先生との立場の違いを強く意識させられた。
<情報化>それ自体はむしろ、その一般的な可能性においてみれば、この事例の示唆しているように、現代の「消費社会」が、自然収奪的ではなく、他社会収奪的でないような仕方で、需要の無限空間を見出すことを、はじめて可能とする条件である。
これは、私にとっては「コマーシャリズム」の肯定(少なくとも容認)のようにしか読めない。
要は、先生は、必要を超えた欲望が物質の浪費(とそれのための「外部」世界からの収奪)でなければ、むしろ人々の幸福の度合いを高めるので、良い、という立場をとられているのである。
バーチャルな欲望とそれに伴う消費は無害だと。
私はこれを認めない。
必要を超えたいかなる消費も、(たとえそれが物質を節約することにつながったとしても)、他者によって喚起された「本来は必要のない」消費であり、人の自由への挑戦である、というのが私の立場である。
従って、私はありとあらゆるコマーシャルを認めない。
この私の立場は、先生からするとあまりにも「原理主義」すぎるということになるのだそうだ。
(弁解するならば、私はかつての社会主義国のように人々の欲望を「抑圧」せよ、と主張しているのではない。「喚起するな」と主張しているのである)
ここに、私は先生との明らかな立場の違いを確信した。
決別の時が、来たのかも知れない。
■読了日
2010/01/27