月の森に、カミよ眠れ (偕成社文庫)

月の森に、カミよ眠れ (偕成社文庫)

書名:月の森に、カミよ眠れ (偕成社文庫)
著者:上橋菜穂子, 篠崎正喜


■評価:優
  物語:○ 情報:△ 斬新さ:△ 意外性:◎ 含意の深さ:○ ムーブメント:○ 構成:△ 日本語:○ 
  難易度:普 費用対効果:◎ タイトル:○
  お勧め出来る人 :良い物語を求めている人
  お勧めできない人:「純粋な意味での」ファンタジーを求めている人


■所感
 以前にも記述したが、上橋さんのお書きになる物語は、いつも安心して読むことが出来る。
 勿論、これまでに読んできた上橋さんの物語の実績からそう考えるのだが、単に「外れがない」という意味合いではなく、文字通り「安心感」という言葉がふさわしいのである。
 それはおそらく、上橋さんが、人の心の機微をよく理解していて、そのためにどの作品を読んでも琴線に触れる物語を与えてくれるからだろう。
 それが解っているから、上橋さんの物語は安心して読むことができる。

 
 本作は、古代日本の歴史ファンタジーの皮を被ってはいるが、その主題は解説で述べられているように「自然と人間」との関係にあるのではない。
 勿論、そういう読み方も出来なくはない。
 だが、本作は明らかに人間のあり方、特に「男性」という他者を受け入れる「女性」の心理に焦点が当てられた物語である。
 そういう意味では、どちらかというと、私小説に近い。


 本作で扱われている様々な象徴は、フロイトユングのようなうがった見方をしなくても、それぞれが人間の「性」と深く結びついているものであることが解る。
 まあ、そもそも神話の類は、人間の「性」と関係のないものを探す方が難しいほど、人間の「性」と深く関わっているのだが・・・。
 「ファンタジー」というジャンルでこれほど真っ正面から人間の性のあり方について(特に女性の立場からの視点で)取り組んだ作品というのは大変珍しい。
 
 
 本作の問いを一言に集約すると、(どこぞの書籍のタイトルにあった気がするが)「この人でいいのかしら」となる。
 これは、全ての女性が、自らのパートナーとなる男性を前にして、少なくとも一度は考えることだろう。
 誰もが直面する出来事であるが、決して普遍化されることのない、それぞれにとってそれこそ「世界がひっくり返るほどの」問題である。
 (そういう意味では、本作は、最近アニメーションの1ジャンルを確立しつつある「セカイ」系に近い雰囲気を持っている)
 しかもこの問いに終わりはない。
 その生の終わりに至るまで、この問いはその人につきまとうことになる。
 (そうでなければこうも多くの女性が、定年後の夫に逆三行半を突きつけるようなことはしないだろう。結婚は必ずしもゴールではない。1つの選択の結果であり、始まりでしかないのだ)
 
 
 本作ではまた、主人公が、「少女」から「大人」になることへの戸惑いや迷いについても1つのテーマとして扱われているが、この問いに関しては、あまり深く掘り下げられず、中途半端なまま終わっている。
 著者としても、たまたま描こうとした時代の主人公の年齢がそういう時期に該当しただけで、その点に関してはあまりとりあげるつもりはなかったのかも知れない。
 タイトルに「月」とあり、作中でも何度も「月」が象徴的に用いられている点を考えると、些か違和感を禁じえないが、まあ、それよりも大きな問題が目の前に突きつけられたが故に、その点は霞んでしまったのだろう。
 主人公の「成熟拒否」という括りで強引に結び付けられなくもないが、この点に関しては「考慮不十分」の問いとして、本作のテーマからは外して考えた方がよいだろう。


 ちなみに、「お勧めできない人」に「純粋な意味での」ファンタジーを求めている人、と書いたのには理由がある。
 これは私の定義であるが、「純粋なファンタジー」は、人間の生の部分、特に「性」を扱わない。
 (ref. 指輪物語)
 本作はまさに「性」をテーマとして扱っているため、「純粋な意味での」ファンタジーの定義からは外れると考え、上述のような記述を行った。