見事なまでの土砂降りだった。
車に乗れないこの人に与えられた選択肢は

  1. 自転車
  2. 歩き

の2つしかない。


以前なら迷わず歩きだったのだが、最近は早朝出社が奨励されていることもあって、少々の雨なら無理して自転車で行く。
少々の雨なら、ね。


で、土砂降りの中を自転車で行った。
どういう格好だったかは、ご想像にお任せする。
一応着替えは用意して行く。
(そうしないとまず間違いなく仕事にならない)


こんな雨の中でもスピードを維持しようとすることに何の意味があるのか。
減速せずに思い切り水を跳ね上げて走っていく車を見ながら思った。
(勿論たっぷりと水をかけられた)
が、すぐに気づいた。
それは、ルサンチマンだ。


弱者(この場合は私)が強者への妬みから、価値転倒による勝利を目論む。
まさに、ルサンチマン


自らの心に生じたこのルサンチマンの萌芽を見逃すわけにはいかない。
私は、ニヒリスト、なのだ。
一切の価値を否定し、物事をあるがままに受け入れる。
強者は強者で弱者は弱者なのだ。
強者が敗者となり、弱者が勝者となってはならない。
(逆はよい。即ち、勝者が強者であり、敗者が弱者であることはよい)


私のような弱者は、盲目的な意志のぶつかり合い(即ち権力への意志同士の衝突)により、「正しく」排除されるべきなのだ。
それは、私個人という立場から見ると、とうてい受け入れられない「真実」なのかも知れない。
だが、それを受け入れないことは「ルサンチマン」に陥ることなのだ。
汝、ニヒリストたれ。


恐らく私は、「正しく」淘汰され、排除されるだろう。
ただ一つ、この世を去るその瞬間に、私ーニーチェが正しかったというその事実を知ることが出来れば、私は満足である。