私は何故挫けないのか


結論から言えば、「負けて嘲笑されるのが嫌だから」となる。
何に負けるのか。
社会であり、神であり、運命である。
これらは全て同義である。


人が生きるのは「物語」を紡ぐためであり、より多くの困難が与えられるのは、それだけよりよい「物語」が求められているからである。
与えられた困難に立ち向かうことでよりよい「物語」が紡ぎ出される。
与えられた困難に負けて挫けることでは貧相な「物語」しか残らない。


神の嘲る声が聞こえる。
「ああ、やっぱり駄目だったか。少々やり過ぎたかな。ふーん。こいつはもう少し粘るものだと思っていたのに。つまらん。」


人々の嘲る声が聞こえる。
「気の毒にねぇ。だけど最近の人はだめね。ちょっとつらいことがあるとすぐ逃げ出すのよね。」


運命の嘲る声が聞こえる。
「汝は汝に定められし運命を全うすることすらできなかった。汝は我の声を聞き、我に従い、或いは背きて新たな物語を成すという汝の運命を我により知り得たにも拘わらず、それに耐えることが出来なかった。汝には消滅すら与えるに惜しい。」


私は負けることが嫌いだ。
私は嘲笑されることに耐えられない。
私は負けない。
私は挫けない。
神の嫌がらせに耐え、社会の無理解に耐え、運命の試練に耐えて新しい物語を紡ぎ出すという己自身に課した使命を全うしてみせる。