6/19である。


散々ひどい想像をして臨んだ資格試験は、想像を上回るひどい結果に終わった。
なんともはや。


まずは得意の長文のうち、最初の空欄補充と最後の内容理解の問題が半分くらい解らなかった。
語彙力なし、作文力0、リスニングはまともに聞いていられる状態にない、という中で、唯一と言ってもよい得点源の長文問題(前回はほぼ満点)でこれだけ苦戦したのではなすすべがない。


万事休すなのだが、この人の抱えている問題は単に頭が悪いというだけではない。
既に体調不良を通り越して、神経衰弱の域に到達しつつあると思われるのだが(しかし、まだどうにか家を出る気力は残っている。それがよく解らない)、この日もまたその特性を余すところなく発揮してくれた。


開始直後からずっと不快感に苛まれていたのだが、開始1時間くらいで完全に集中力が切れ、リスニングが始まる開始90分頃には正常な思考が出来ないような状態になっていた。
時間帯でいうと最後の長文問題にかかる頃から集中力がなくなっているから、英作文をどのようにして書いたか(そして何を書いたか)さっぱり覚えていない。
(しかしともかく所定の100語前後は書いた。どうやって??)


で、前回撃沈したリスニング。
今回は撃沈以前の問題。
英文はまったく聞き取れず。
適当にマークするので精一杯。


ていうかそんなに気分悪かったなら素直に1度中座させてもらえば良かったのに。
(現に2人ほどリスニング前に席を外している人がいた)
妙に意地張って「いや、今回は2時間耐えるのだ」とかどうでもいいこと(本当にどうでもいい)にこだわるからせっかくの機会を無駄にするんだよ。


・・・。
まあ、終わったことだ。
次は気分が悪くなったらおとなしく席を立たせてもらおう(もともとそのつもりだったのにね。ブログにもそう書いてあるじゃん。無理な意地張るなよ)。
いや、勿論気分が悪くならないに超したことはないが。
ちなみに、何故その歳で英検なんかにこだわるのか、という問いには、「本当はTOEICを受けなければ(勿論勉強もして)ならないことは解っているけど、TOEIC試験の長時間拘束(3時間??)に耐えられない体を抱えているから」と答える。
資格には挑戦したいけど体が持っている制約上90分を越える試験の受験には不安がある(それでよく基本情報とソフ開が取れたものだ。いや、去年はがんばった)のである。
実際に今回は撃沈しているし。


ただ、体の不調ばかりを言い訳にするわけにはいかない。
今回の試験では比較的小康状態だった(といってもひどかったよ、結構)前半に挑んだ問題もほとんど出来ていない(採点していないけど。今回に限っては採点する気にもなれない。いいや)。勉強不足は自覚していたけど、まさかこれほどまでに出来ないとは。
前回2点届かなかっただけだったので油断していたのは確か。
外国語の習得は日々の修練あるのみだから、この状態ではいかんよ。


そもそも、万年体調不良というハンディ(医者が「気のせい」っていうんだから他に名付けようがない)があるならば、その分だけ健常な人よりも努力してその分の実力を上乗せしなければならないのだ。
クリアすべき水準は決まっているのだから、当たり前である。
体の不調に気を取られてほとんど話される内容に集中できない状態なら、その状態で聞いてもある程度の内容が聞き取れる力が必要だし(普段は非常にリラックスした環境でヘッドフォンから流れる英文を聞いている。確かにその状態なら英文は聞き取れるし問題も解ける。だが、それでは「練習ではもっと上手く打てるのに試合になると実力を発揮できない」という子供の言い訳に過ぎない)、対して集中してなくてもごく自然に目の前の英文の意味が理解出来るだけの力が必要なのである。
或いはリスニングがまったく駄目なら、他の分野で満点をとればいい。
それだけのことである。
要は努力が足りないのだ。


まあ、そもそも何故資格試験など受けるかというと、勉強へのモチベーションを維持するためである。
試験を受けて不甲斐ない思いをし、或いは失敗して後悔すれば、少なくとも試験など受けずにのうのうと暮らしているよりも勉強しようという気になるだろう。
この日の結果はあまりにも不甲斐なかったので、早速帰りに参考書を2冊購入した((自分の中では)悪名高い「教本」とこっちは評判が解らないTOEICのリスニング問題集)。
試験後も勉強のモチベーションは続いているし、来年辺り(夏は多分文検で、冬は漢検かな。それとも冬はきついからパスかも。あ、情報処理も何かとらないとまずい)には本当に取得しに行くつもりにもなった(要はまたリベンジ、なのね)ので、本来の目的は達成できたとしてもよいだろう。
・・・少なくともブログ上ぐらい前向きでないと本当に家を出られなくなる・・・。