恋散華

私は間違っているのだろうか。


醜い生に背を向け美しい死に憧憬することが。
醜い自分を否定し、切り刻み、その呼びかけを抹殺することが。
外界を拒み、差し出された手を払いのけ、自らの殻に閉じこもることが。
汚染された大地から目を背け、空ばかり見ていることが。
人と交わろうとせず、人に触れようとせず、人を拒み、人から離れ、人から隠れて生きることが。


美しくあろうとすることは罪なのか。


ならば何故神は私に醜き罰を与えたのか。
否が応でも醜き自分と自分の醜さと対峙せざるを得ないこの病を用意したのか。
私は痛みに倦み、疲れ、生きる気力を失った。
その力の全てを自らの醜さを隠すために浪費させられた。
それも、もう限界だ。


何故生き続けなければならないのか。
生きることは自らをますます醜くしていくことなのに。
成長する限り、外界から物質を摂取する限り、人がより美しくなるということはない。
ただただ有るだけで、生きているだけで人は日々醜さを重ねていく。


醜くあることを受け入れることが大人になることだというのなら、大人になんてならない。
醜さと引き替えに得られるものなんて何一ついらない。


生き続けることで醜さを重ねていくのなら。
この先も醜さを積み重ねていくぐらいなら。
明日にでも私からこの肉体を取り上げてくれ。
私はもと有った場所へ、虚無の浜辺へ帰ろう。
そこには美しいものはない。
だけど醜いものもない。
何もない。
自らの醜さを認識させるものもない。
何もない。
何もない。
何もない。
何もない。
何も