この世界を愛せるか

書名:新世紀エヴァンゲリオン (13) (カドカワコミックス・エース)
作者:貞本義行, カラー, GAINAX


■評価:良
  物語:○ 情報:○ 斬新さ:△ 意外性:△ 含意の深さ:○ ムーブメント:△ 構成:○ 日本語:△
  お勧め出来る人 :キリスト教に興味がある人
  お勧めできない人:気持ちが沈んでいる人


■所感
エヴァンゲリオンを読んでいて最近感じることは、結局この作品が問いかけているのは「この世界を愛せるか」どうかということなのだな、ということである。
問われていることは、漱石以来の純文学の作家が問い続けてきたテーマと何ら変わりがない、「如何にして生きるか」という至極シンプルでとても難しいテーマであり、それだけでしかない。


少年のエゴが、少女のエゴが、はたまた情におぼれた大人のエゴが、或いは老人達のエゴが、世界を滅ぼしうるのか、そうでないのか、そういうことはどうでもいい。


偽りの神が造りし偽りの世界で人は幸せになれるのか、という宗教的なギミックもどうでもいい。


エディプスコンプレックスを地でゆく人物相関図すらもどうでもよい。


問題は作品の主人公(即ちあなた)が、「如何にして生きるか」、ただそれだけなのだ。
だから作品の中で何度も主人公が問われているように、「結局あなたはどうしたいの?」という「問い」が物語を支配する。
周りの人々も、超常現象も、怪物も、高エネルギー源も全て現象でしかない。
全ては主人公が「如何に生きるか」それだけに集約される。
(それにしては神の視点が多くないか、という突っ込みは甘んじて受け入れる。それはこの作品に様々な「付加」価値をもたらしていることは確かであるが、その本質には何も影響を与えていない)


今となって思うのは、本作の監督である、庵野氏が、TVシリーズであのような結末を見せ、劇場版ではまた異なる結末を見せ、そして現在進行している新シリーズではまた異なる結末を見せているのは、結局のところ純文学の作家が、主人公を依り代として様々な生のあり方を試行錯誤している行為以外の何ものでもない。
しかもその結末はこれまでの純文学作家が辿って来たのと同じように、結局のところどこかで「行き詰まって」おしまい、というこれまた純文学の王道的な終わり方となっている。
(いっそこの作品を芥川賞候補にしてみてはどうか?)


貞本氏はそのような庵野氏のあり方を十二分に理解して、本作を進めているように思える(『父と子』など、まさにそのものではないか、と思った)。
となれば結末は…。
こればかりは本作が「純文学」とは銘打っていない以上、何も述べることは出来ない。



■読了日
2012/11/23