私は何故恋愛をしないのか

結論。

恋愛と欲情とは区別がつかないから

私は原理主義者なので、この2つはきっちり分けたい。
が、人間が肉体を持つ動物である限り、この2つを厳密に分離することは不可能である。
従って私は恋愛をしない。


逆にだから私は音楽を安心して愛することが出来る。
音楽は実体を持たないからだ。
何?
音楽で欲情する人もいる?
知らん。


余談。
一時期「純愛」という言葉が流行っていたことがあった。
が、私に言わせれば、プラトニズムのかけらもないそれらのどこをどう切り取ったら「純愛」なるものが出てくるのか、さっぱり解らなかった。
私が「純愛」と認めるラブストーリーは2つだけ。
浅田次郎の『ラブレター』。
それから、ノーベル文学賞作家アンドレ・ジイドの世界的に有名な作品『狭き門』(のアリサ。ジェロームは残念ながら普通の男の子である。モデルは著者自身らしいが)である。
他にあるならば是非紹介して欲しいものだ。


ロミオとジュリエット』?
うーん。
あなたは『恋に落ちたシェイクスピア』なる作品を観ましたか?
あれは私に言わせれば『肉欲で墜ちたシェイクスピア』ですな。
だからというわけではないが、ちょっと「シェイクスピア」は信用できないのですよ(特定の個人でもなかった説も未だに有力だしね)。


『ダフニスとクロエー』?
はい、まさにそれこそ「ヒトの」「自然な」欲望の象徴ではあ〜りませんか。
解らない人は三島の『潮騒』をお読みになるとよいでしょう。
一読瞭然です。
まだ『マノン・レスコー』の方が主人公が(愛欲から入っていったとはいえ)真の「愛」に目覚める物語だけに救いがある。


ところで、個人的に好きなラブストーリーはあるのだが・・・。
しかし、何せアメリカ映画なので、なんというか、その、あれ抜きには語られないのですな。
どうにかなりませんか、ノーラ・エフロンさん。
私、死ぬまでにあの物語を大いに美化した上で換骨奪胎した物語を書きたいと思っているのですが・・・。
丁度シナリオが市販されていないみたいですから、テープ起こしならぬDVD起こしをいつか必ずするつもりでいるのですが・・・。
(と言いつつ、肝心のDVDは人にあげてしまったという。まあ、人生はまだ長い)