世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

書評:世界は分けてもわからない
著者:福岡伸一


さすが、福岡さん。
前作『できそこないの男たち』があまりにもよく知られている話を取り上げていてかなり退屈だった(その時の書評)だけに、本作はどうかと危惧していたが、無用な心配だったようだ。
当たり前か。


本作は、上記の前作を飛ばして、大ベストセラーで著者の名を一躍有名にした名作である『生物と無生物のあいだ』の続きにあたる書である。
前作は、「生物とは何か」というあまりにも大きな問いを、DNA発見の知られざる歴史と、自身のポスドク時代のエピソードを見事にクロスさせながら、壮大な物語として語っている。
対して本作は、そもそも福岡氏の訴えたいことが何であるのか、最後の最後まで解らない。
問いそのものは、タイトル通りなのであるが、読み終えて初めてこのタイトルが何を指しているかということが解る仕掛けになっている。
あたかも良くできたミステリー小説さながらである。
果たして本書で福岡氏が訴えたかったことはなんであったのか。
気になる方は是非読んで欲しい。


福岡氏の素晴らしいところは、ノーベル賞レベルの内容を、物理化学が苦手な読者でも容易に理解出来てしまうような絶妙な「たとえ」で説明してしまうことである。
化学式は必要であればその後でおまけのように示される。
その時にはもう理論を理解できてしまっているので、どんなに難しそうな化学式であっても抵抗なくすんなりと受け入れることが出来る。
今回秀逸だったのは、「解糖」の仕組みの説明であった。


一点、個人的にあまり気に入らない点があった。
福岡氏は本書の中で、生物の器官というものが、明確なラインで切り分けることの困難なものであることをこれもまた独特の語り口で鮮やかに示してる。
その点に関しては異論はない。
だが、そこから一歩踏み込んで、同じ理論を我々人間の「生と死」の問題にまで敷衍して、「死を『脳死』という『恣意的な』ラインで区切るようなことを許せば生も『脳始』という『恣意的な』ラインで区切らせるような横暴を許してしまう」という趣旨の発言をしているが、これは少々言い過ぎであろう。
福岡氏の論理で説明できるのは「『生』も『死』も明確なライン引きなど出来ない」というところまでで、「だから現在の『脳死』は〜」となると、そこから先は政治的な発言になってしまう。
科学者が政治的な発言をしてはならないと言いたいのではない。
そこは分けて述べてもらいたい(出来れば別の著作で)、ということである。
ちなみに私は「生と死」は生物学ではなく、哲学・倫理学政治学の領域の問題であると考えており、それら全ての面からの検討が必要だと考える。
福岡氏の今回の主張では、哲学・倫理学的な考察が不充分であり、そういう意味でもそのような政治的発言は受け入れがたい。


ちなみに本書では、「動的平衡」という、福岡氏の理論を象徴する有名な概念を前提に話が進められている。
本書は入門書ではないので、「動的平衡」という概念に関しては全く説明はない。
福岡氏は絶妙なたとえで難しい理論を説明できる希有な学者であり、本書もその内容に比して驚くべきほど理解が容易な文章となっているため、たとえ「動的平衡」という概念が良く理解できないまま読み進めても、言わんとしていることは十分理解できるようになっている。
だが、「動的平衡」を理解しているのとそうでないのとでは、本書の理解は10倍以上違う。
出来るだけ『生物と無生物のあいだ』(或いはその簡易版の『 爆笑問題のニッポンの教養 生物が生物である理由 分子生物学』)は読んでおいた方がよい。


生物と無生物のあいだ』は、読み終えて「これはサントリー学芸賞ものだろう」と思ったが、まさにその受賞作となった(おまけに新書の賞も受賞した)。
本作もそれに負けるとも劣らない良書である。
是非、是非、読まれたし。
科学にコンプレックスのある文系の人間にこそ読んでもらいたい。