なんで冷静に書の評など書いているのかさっぱり解らない。
家に帰り着くまで頭の中が死ぬことで一杯だったのに。
今日、私の感性は私にはもう死以外の道は残されていないと言った。
私の理性はとうの昔に私自身に死刑判決を下している。
だが、それにも拘わらず、私は一向に死のうとしない。
もうこれは<わたし>の理解を超えている。


だからといって、何か超越的なものの声が聞こえているわけではない。
解らぬ。
「生活」という言葉がこの命題に対する突破口になりそうだが、今はそれを考える気力がない。