書名:自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか
著者:岡本 太郎


良書。
岡本太郎人生哲学のエッセンスが詰まっている。
一言でこれを表すならば、

一瞬一瞬を命をかけて全力で生きるべし

となる。
これは(私の大嫌いな)「生命至上主義」に対する強烈な挑戦状であり、非常に強く共感できる。
太郎は自らに妥協を許さない。
常に全力、常に命がけである。
最も困難だと思われるものに取り組み、最も苦手とするものに敢えて挑戦し、最も厳しい道を敢えて選択する。
勿論、挫折もし、大いに批判され、誤解され、血を流す。
だが、それこそが生きるということなのである。


本書には、このような「生き方」に関する論述の他にも、芸術論や恋愛論などが収録されている。
しかし、それら各論を通底して流れている思想は上記の通りたった1つのことである。
常に命をかけて、持てる力の全てをかけて目の前のものごとに取り組め、これだけである。
芸術においても、体の奥底から、本当にそれを表現しなければどうしようもないという悶えや苦しみの中からほとばしる、溢れだしてくるようなものだけが本物であり、「上手くかいてやろう」「こういう含蓄を持たせてやろう」「自分の技巧を見せつけてやろう」というような小賢しさが垣間見えるものはみな偽物なのである。
これは、「純文学」の善し悪し(というよりもそれが「純文学」であるかどうかの分水嶺)にも通ずる。
本物の「純文学」というのは、その著者がそれを「書かざるをえなかった」ということがひしひしと伝わってくるものである。
そのような小説を書かざるを得ない人種のことを「小説家」と呼ぶのである。
器用に求められるもの、世に受けるもの、空間を埋めるためのものを量産していくような「売文家」とはこの点において異なるのである。
(残念ながら、恋愛論に関しては、よく解らなかった。単に私の経験不足なのかもしれないが)


太郎に興味のある人は勿論のこと、興味のない人にも広く読んで欲しい珠玉のエッセイ。


この本を読んで共感を持てる人にはまだ救いがある。
この国の間違った(戦後民主主義)教育によって埋め込まれた「生命至上主義」と決別し、真の自由、真の人生を取り戻そう。
自分の生命は目的ではない、手段なのである。
この命を用いて何を成すのか、それを考えるべきだ。