私は、たとえそれが確実に苦しんでいる人を救うために使われると保証されていたとしても「募金」をしない。
私は自らリスクを負うことのない安直な行為で、自らの良心を満足させるような行為を自らに許さないからだ。
だが、私は私のこの態度を他の人に押しつけることはしない。
私は私のとっている態度もまた、私にとっての自己満足でしかないことを知っているからだ。
私自身の自己満足のために、本来救われる可能性があった人が救われないのだという事実を、私は受け止める。
私は、私の生命活動が多くの「殺し」と「犠牲」の上に成り立っていることを認め、受け入れ、自らを非難する。
私は私の生命活動が途絶えるその日まで、私自身が「生きて」いることについて、私自身を責め続ける。
そうしてもまだ、とうてい許されるものではないと考える。
私はキリスト教徒ではないが、人間には原罪があると考える。
他の生命を、他の人間を犠牲にして生きているという罪である。