人生に生きる価値はない

人生に生きる価値はない

書名:人生に生きる価値はない
著者:中島義道


以前から何となく思ってはいたのだが、本書を読んで確信した。
何かというと、中島氏はニーチェではなくショーペンハウアーなのである(ちなみに専門はカント)。
あれも嫌い、これも嫌い、人が嫌い、社会が嫌い、常識が嫌い、女が嫌い、俺を独りにしてくれ、人生に意味はない、すべてがくだらない、とさんざん我が儘をわめき散らしながら、実生活では人生を謳歌している、という意味で、中島氏はショーペンハウアーなのである。
(必ずしも思想が近いとは限らない。ただし、彼が一般向けに書いている本書のようなイージーな著書での、彼の主張や彼が説明する彼自身の行動は間違いなくショーペンハウアーの生き方そのものである、という意味)


ちなみに本書に関しては、その刺激的なタイトルとは裏腹に、ちっとも「人生の無価値さ」を証明したり、わめき散らしたり、思い知らせようとしたりしていない。
ただただ、著者の「嫌い」が書き連ねられており、読む人によっては(さっきサンプロの録画見たばかりだからパッと思い浮かぶのは西部邁とか櫻井よしこといった保守主義者)、はらわたが煮えくりかえるのではないかと思うような本。
「人生に生きる価値がない」ことは、既に本人の中で確固たる真理となっているようだから、今更論考する必要もないのだろう。
そういう意味ではやや期待はずれ。


ただ、まあ、この人の本は痛快エッセイとして読めばよい(言葉は悪いが動物園のサルをながめているような気持ちで読めばよい)ので、そういう意味では十分楽しめた。
真理や至言もあまり数は多くはないが、いくつかちりばめられていることであるし。


私は著者とほとんど意見を一にするのだが(殊「人間嫌い」に関して)、本書に関していえば、一点だけ、意見が異なる点があった。
それは、幸福と真実のどちらを優先すべきかという問いである。
著者はカント研究者であるから(余りにもニーチェの話ばかりするので忘れられているんじゃないかな)、カントの道徳律が示すとおり、真実(己の内なる命令に従うこと)をとっているようだが、私はその意見には与さない。
かつては私も著者のように、真実は幸福よりも優先するものだと思っていたが、1.真実は人の数だけある 2.他人の幸福を阻害してまで追求するような価値などない と考えを改めるようになった。
有名な映画『マトリックス』でいえば、「せっかく良い夢をみているのに起こしてくれるな」ということになる。
自分が実は装置につながれていることに気づいてしまったのが、哲学者という人種なのだが、そのことによる苦しみや絶望にわざわざ幸福な人たちを巻き込むことはない。
無知であっても、真理から遠ざかっていても(そもそも真理など理性の守備範囲ではない、というのがカントの主張だったのではないか?)、幸せな人は幸せなのである。
それを不幸に突き落とすだけの権利は誰にもない。
また、そこまでしても手に入れるだけの価値は真理(を追求するといわれている哲学)にはないのである。


・・・また話が書評からそれていく・・・。
(お約束)
まあ、本書は先にも述べたように、痛快エッセイというつもりで気軽に読むと良い。
肩肘張って「真理」を求めようとするならば、肩すかしを食らうだろう。