早稲田と慶応 名門私大の栄光と影 (講談社現代新書)

早稲田と慶応 名門私大の栄光と影 (講談社現代新書)

書名:『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』
著者:橘木俊詔


駄本を通り越して、これは悪本である。


3/10になってしまった・・・。
読み終えてからこれだけ経てば、大抵の場合まともな書評が書けない(内容を覚えていないのだから当たり前)のだが、この本に関しては、あまりにもその害悪がひどかったので、読了から2ヶ月ほど経過した今でもまともな非難を書くことが可能である。<いいのか、そんなんで>


その害悪とは、ただ1点、「大学ではもっと実社会で役に立つことを教えるべきだ」というとんちんかんな主張に尽きる。
村上陽一郎先生がさぞかし嘆かれるであろうこの問題発言を看過できるほど、残念ながら私は寛容ではない。
曰く、「大卒という名称にこだわりたい人の気持ちは解るので、名称は大学のままで、中身は『専修学校』のように実際に役に立つ知識・技能を伝達するべきではないか」
(さらには、既存の「専修学校」を「大学」にせよという提言まである)
はぁ?
何を仰せになるのですか?
そんなことをすればただでさえ国際的評価の低いこの国の高等教育の質をさらに貶めることになるということは火を見るよりあきらかではないか。
問題の根源は多すぎる大学と(学力と比較して)高すぎる進学率と「金で学歴を買う」ような現在の歪んだこの国の高等教育の構造にあるのであって、それとはまったく向き合わずに不要な大学、不要な学生をますます温存(やり方によっては増加)させるような提案をしてどうするというのだ。


と、ここまで書いてふと心配になったので、ちょっと付箋の箇所(ちなみに青い付箋は(メインで使っていないときは)マイナス評価の箇所なのだ)を読み返してみた。
すると、もう一カ所問題の記述を見つけた。
何かというと、国家一次試験に占める東大卒の割合の低下という事実に対して、これを学歴社会の変容の兆候であると分析している記述である。
眺め見ただけですぐ「この人は学者として大丈夫なのだろうか」という感想を抱いた。
東大卒が官僚を忌避するようになった理由は、単に、東大生が官僚という職種に魅力を感じなくなった(一番の魅力だった「天下り」が(法律上はどうであれ)事実上出来なくなってしまった、以前ほどには官僚という職種が尊敬されない等)というだけのことである。
彼ら優秀な人材は、より評価される、より見返りのある職に横滑りしているのであり、その限りでは、学歴社会は維持されているのである。
それを学歴社会の変容などというとんでもない解釈をしているのはこの人ぐらいだろう。


先の「専修学校を大学にせよ」という主張などを見ても、この人には「科学的態度」が徹底して欠けていることが解る。
(今となっては、『日本の経済格差』が世に出て話題となったときに、多くの学者が必死になってこのひどい論文を批判しようとした気持ちがよく解る)
テレビの(専門家でない)コメンテーターならまだしも(本当はテレビのコメンテーターにも「科学的態度」で発言をして欲しいのだが)、仮にも日本を代表するような大学の教授が、このような根拠のない非論理的な分析や提言をすることははっきりいって害悪以外のなにものでもない。


で、肝心の中身なのだが(あまりにもひどいので中身の評をすっかり忘れていた)。
何が言いたいのかさっぱり。
これって単に早慶の校史に載っているようなことを並べただけじゃないの?
そんなこと校史どころか日本史の教科書に載っているよ、というようなことをわざわざ紹介したり、大衆雑誌の特集記事に出てきそうな「企業経営者に占める有名大学出身者」の割合を取り上げてよく解らない分析をしてみたりしているが、実のところ中身は空っぽ。
この人の著書で、『早稲田と慶応』というタイトルなら、(一応この人は格差問題をとりあげた社会学者なので)副題の「名門私大の栄光と影」の「影」の部分に期待してしかるべきなのだが、肝心の「影」の部分はいったいどこ?
東大や京大のような旧帝大に劣っている部分(勿論、学究の分野)についての言及はあるが、それもまた広く知られていることで、改めて取り上げる必要もないような事項。
やっぱり何が言いたいのかさっぱり解らない。


唯一評価できる点があるとすれば、戦後早慶が飛躍的にその力を伸ばしたきっかけとして、「共通一次試験」など大学入試制度の変化と受験生の意識の変化をとりあげた点くらい。
このあたりは社会学者の名誉挽回といったところであり、記述箇所も冒頭であったため、少しは期待したのであるが、その後はだらだらと誰にでも解るような「学校の紹介」程度の話が続き、非常に退屈だった。
そして上述したような「害悪」以外のなにものでもない提言。


「駄目な本」の典型として、よほど暇ならば読んでみればいい。
そんな暇な人はいないと思うが。


それにしてもこの人の(担当編集者の?)日本語は相変わらずひどい。

つぎはどのような項目に支出されているかに関しては、私学と国立とで、それほどの差はない。


P187 L14

以前にも指摘したのだが、少しも改善の兆候が見られない。
この人、本当に大学教授なの?