進学格差―深刻化する教育費負担 (ちくま新書)

進学格差―深刻化する教育費負担 (ちくま新書)

書名:進学格差―深刻化する教育費負担 (ちくま新書)
著者:小林雅之


ひどい本。
何がどうひどいって、統計データが「進学格差」なるものを全く支持していないのに、これを強引に「家計の無理」というよくわからない概念で「格差」の問題としてしまう点。
なんでこんなのが、ちくま新書から出てくるのか、さっぱり解らない。
なんでこんな人が東大の教授をされているのか、さっぱり解らない。
そして、最も解らないのは、週末の貴重な時間を削り、睡眠を削ってまで、なんでこんなくだらない本を読み通してしまったのか、である。
いい加減、早く見切り付けろよ。


いや、1点だけ言い訳させてもらうと、本当は半分もいかないところで本書が駄本であることは確定していたので、読むのをやめようと思ったのである。
だが、次の章を見て、思いとどまってしまった。
その章は、他国の事情との比較をうたった章であった。
国内の教育・格差問題はさんざん取り上げられているが、実際に諸外国と比較して、この国の教育財政・教育支出がどういう位置にあるのかという情報は少ない。
少なくとも、この章は読みたい、そう思ってしまったのが間違いだった。


まあ、各国の事情が少しでも分かったということは損失ではない。
だが、だからといって本書のひどさを打ち消すほど耳新しい情報があったわけでも、見事な比較教育の考察があったわけでもなかった。
せめてこの章を基軸とし、最初から最後まで教育財政と教育支出に限った比較教育というテーマで書いてくれていれば、もう少し本書の存在意義は高いものになっただろう。


教育と格差の問題は、20年も前から苅谷剛彦が有効なデータ、正確な分析、質の高い考察、そして現実的な提案を行ってきている。
教育の格差は家庭環境の差であることが、説得力のある数字と共に、既に苅谷氏によって証明されている。
問題点は、生徒たちの諦め感すなわちインセンティブ・ディバイドが引き起こす格差拡大と、能力のある生徒の芽を摘む悪平等、「個性尊重」が招いた公教育の質の低下及び学力低下であり、その解決策は、習熟度別の指導、能力のあるものに対する飛び級制度やエリート教育、複線化(という言葉は忌避されるのでさすがに苅谷氏も直接その言葉を使われたことはないが)、公教育が「最低限」の学力を身につけさせることを保証すること(身につくまで卒業させないこと)などである。
(一部私見が入り込んでいるが、苅谷氏の主張と大きくずれてはいないと思う)


今更適当な数字を持ち出してきて(しかもその数字が仮説を支持していないのに強引に自分の定義した言葉の証明に用いて)、「格差」だと自慢しても、後の祭りである。


嗚呼。
くだらない本の批評に費やした無駄な時間を返して欲しい。<なら、感情にまかせてそんなに無駄な文章を書くな>