雨に打たれながら考えた。


やはり、人間よりも動物の方が、生物よりも無生物の方が、存在よりも非存在の方が、高度であり完全な存在なのだ。
何も摂取せず、何も排泄せず、常に変化せず、何も求めず、何も奪わない。
無生物よりも生物を尊重し、下等生物に対して自らを高等生物と定義したのは思い上がりであり、小賢しさであり、底のない不安からの逃避でしかない。
人間は不完全であり、下等であり、失敗作なのである。
死とは不完全な存在である生物がより上位の存在である無生物へと昇格することなのだ。


この下等で不完全な失敗作に唯一注目すべき点があるとするならば、それが不完全で下等で失敗作であるが故に、「物語」を成すという点だけである。
従って人の存在意義は物語を生み出すことにある。
それ以外の行為は不安から逃避するための自己欺瞞に過ぎない。
懸命に生きるのも美しさを求めるのも、そのことにより物語が生じるから意味があるのであり、その行為そのものには何の意味もない。
だから生に意味を求めたいのであれば、死を恐れずに前に進むべきなのである。
たとえ斃れても物語は残る。

生と死とは等価なり
汝、恐れるな