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- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/02/09
- メディア: 雑誌
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※芥川賞受賞作『アサッテの人』
勿論目当ては芥川賞受賞作。
ここ最近は芥川賞を文春でチェックするようにしている。
まあ、大概つまらないんだけどね。
記憶に残っている面白い小説と言えばモブ・ノリオ『介護入門』ぐらい(そういえばあの人、「お金がない」、と言っていたけど今どうしているのだろう)。
基本的に芥川賞受賞作とは「なんだかよく解らない作品」と相場が決まっている。
芥川賞は「あんたの小説は何か凄いんだけどよく解らない、しかも候補の中でも最も意味が解らない」という作品が受賞するものだと勝手に思い込んでいる。
まあ、「純文学」そのものがよく解らないんだけどね。
(ああ、今思い出した。『グランド・フィナーレ』も面白かった)
いい加減書の評をしろよって?
チッチッ
君、話は「枕」が大事なんだよ。
(『ちりとてちん』から便利な言葉を学習しやがったな)<どーせ私の文は駄文ですよ>
まあ、今回は意味のない前置きではない。
要はこの作品の欠点を説明したかったのである。
何かと言えば、「解りすぎる」。
これが芥川賞か?と思うぐらい話の筋と緑子の心理と主題とがあからさまなり。
(なんでそこで古語になる!)
せっかく面白い設定で面白いテーマを扱おうとしているのに、話の筋が単純すぎて、あまつさえこのような平凡な大団円ではその面白さが台無しである。
思考実験としては面白いのかも知れないが、小説としては失格である。
ちなみに、思考実験としても不徹底である。
緑子の思考は「苦痛ばかりしかないのならなんで生きるのだろう」「なんで子供を産もうなんて思うんだろう」というところまで展開するが、そこまでならば誰でも行き着くところである。
どちらかというとその先が見たかったのだが、そこから先に敢えて挑んでいるわけでもなく、この問いは曖昧なまま放置されている。
大衆小説ならこれでもいいのかも知れないが、あくまでもこれは芥川賞である。
純文学である。
こんな芸のないストレートな作品を受賞作としてしまって良いのだろうか。
最近はもう石原慎太郎がボロボロにこき下ろすのを読むのが楽しみになっている私はきっと性格が悪いのだろう(当の本人の小説を読んでいるのだが、意外につまらない。人のことはなんとでも言える、かな。『太陽の季節』『ぼくは結婚しない』は面白かったんだけど・・・)。
まあ、私的にはこれは駄目。