グノーシスの神話

グノーシスの神話

書名:グノーシスの神話
著者:大貫隆


この時期に読み終わったのは確かなのだが、正確な日付を忘れたので便乗。


この国のグノーシス研究はこの人がいなければまったくなかったと言っても過言ではない。
丹念に史料を訳し、解読し、解説書を書かれるその姿勢には頭が下がる。
研究者の鏡である。


死海文書だ何だって騒がれていたり、エヴァダ・ヴィンチ・コードだってその名称だけはよく交わされるようになった「グノーシス」であるが、その本当の意味に関してはほとんど理解されていない。
キリスト教に疎いこの国では仕方がないのかもしれない。
神話への興味関心も薄く、ギリシャ神話ですら通じない人が多い。
戦後は自分の国の神話も語られることがなくなった。
まさに、「物語」の危機である。


本書を手に取った目的は、マニ教の神話を理解するということである。
昨年白水社の新書で『マニ教』を読んだが、その神話に関しては正直さっぱりだった。
(その時のブログ。ここで強調している「教義」という言葉は「神話」或いは「物語」の方が適切だったかもしれない)
そこで、名著『グノーシス』を書かれた大貫さんならきっと見事な布地を示してくれるのではないかと期待し、昔読んだ記憶もある本書を取り寄せたのである。
で、肝心のマニ教神話だが・・・。
正直言うと、未だにさっぱり解らん。
闇に取り込まれた光を取り返すというストーリー、太陽と月と人間の関係などは何となく解るのだが、神話特有の名前の多さや矛盾の多さに阻まれて、1つの通った筋としての物語が頭の中に構築できなかった。
まだまだ修行が足りなかったみたいで・・・。


それにしても、『グノーシス』が如何に優れた書籍であったかをあらためて思い知らされた。
これだけ複雑怪奇な話の展開をみせるグノーシス主義の神話をよくもまああのように解りやすい筋の通った物語にまとめられたものである。
大貫さん、小説家の素養があるんじゃないかな。
是非何か神話でも書いてくれないかな。
というよりもこのわかりにくいマニ教神話を同じように優れた語り口で語り直してくださいませんか。


↑何か私事ばかり述べて少しも書評になっていなかったので一言
本書はグノーシスとは何かという入門レベルの知識を求める人には勧められない。
そのような人には同じ著者の講談社選書メチエグノーシス』をお勧めする。
本書はある程度グノーシスに関する知識のある者が、もう少し詳しく知りたい・少し原典に触れてみたいと思ったときに手に取るような書である。
わかりやすさ、まとまりという観点では『グノーシス』に遙かに劣る。


しかし、本書を読み終えて、無性に『ナグ・ハマディ』全巻(勿論日本語訳。あれを全部訳したというのだから凄い。頭が下がる)が欲しくなった。
しかし、全部で25,000もするのか。
うーん。
うーん。


追記
本書の考察で「終わりなき日常」が取り上げられていたが、まさかグノーシスの研究所で宮台真司の名を見ることになろうとは思わなかった。
しかしよくよく考えれば「グノーシスと現代」というテーマで考察を試みるとするならば、必ず取り上げられるのはオウムの話であり、その際宮台に触れることになってもおかしくはない。
ただ、なんというか、メインカルチャーとしての研究書でサブカルのイメージの強い宮台が、というのが意外だった。
ていうか、そのサブカルからのメインカルチャーの切り崩しを試みているのが私のライフワークなのだから、その点はむしろ歓迎すべきなのだろうが。
なんというか、宮台嫌いは根深いようで(それだけ小林よしのりの絵の力が強いということになるのだろうけど)。