檸檬 (新潮文庫)

檸檬 (新潮文庫)

書名:檸檬
著者:梶井基次郎


同期の方から貸して頂きました第4弾
病に冒された鋭い感性が生み出した奇跡の作品・・・と言いたいのだが、正直言って退屈。
元来私はあまり純文学を解さない人間なのである。
太宰のように好きなものはとことん好きなのだが。


退屈の原因は、その冗長な情景描写にある。
芸術の中で私がもっとも理解力を持たないのは絵画である(勿論芸術の中でもっとも好きなものは音楽である)。
ルーベンスレンブラントといった宗教画、あるいは世界史の資料に掲載されるような歴史の一場面を描いたもの(思い浮かべているのはダヴィッドの絵)などは比較的好きな部類に入るが、風景画や人物画などを長時間眺めていられる人の気持ちが未だによくわからない。
抽象画などもってのほかである(単に読み解くのが億劫だというのもあるが)。


本書に収録された作品を読んでいると、何か一枚の絵を見せられているような感じにさせられる。
情景描写だけではなく、全体がそうである。
動きがない、会話がない、視点が(ほとんど)固定されている。
要は物語がないのである。
純文学に物語を期待する私の方が間違っているのだろうが、語られる物語の中から、あるいは語り手の思索の中から己の問題意識と共通する部分を見つけ、観念の遊戯に耽ることを求める私にとって、語り手と共に歩き、語り手と同じ風景を見て語り手の感傷を共有するというスタンスの著作は強烈な睡眠誘発剤なのである。
実際に読みながら寝てしまった(3度ほど)。


鋭い感性であることはよくわかる。
檸檬」などその描写が奇跡的な美しさに満ちていることはいくら鈍い私でも感じ取れるし、それは本当に素晴らしいと思う。
しかし、退屈であることに変わりはない。


もう一点気にくわない点がある。
本書の作品のほとんどが病に冒された著者の視点から語られており、それが読むものをいらだたせるような歪みと倦怠に包まれているという点である。
著者は既にそこに入り込んでいて、少しも読者をかえりみていない(もっとも、読者のことを考えた純文学なんてみたことないけど)。
自分の中に閉じこもっていて、自分と自分の病のことだけが関心の対象であり、無気力で読んでいる者を倦ませることこの上ない。
まるで誰かのブログのようである(もっとも筆力の差は歴然としているが)。
たぶん、上田三四二を読みながらだったのがいけないのだろう(彼の死生観は素晴らしくまた文体がこの上なく美しい)。
すぐに比べてしまうところがこの人の悪いところなのだ。


それでも、さすがは文学史に名を連ねた人のこと、目を瞠るような佳作を遺していた。
私が本短編集の中で唯一大いに気に入った作品は、『冬の蠅』である。
私が気に入ったのは自分に苦行を強いるくだりではなく、勿論冒頭の生々しい描写などではなく(あれは単に気持ち悪いだけ。それだけ描写が優れているとも言えるが)、最後に披露される主人公の洞察である。
蠅を襲った運命(主人公が導いたもの)に対する類推から己を待ち受ける運命を想像するその想像力とその表現の絶妙さには舌を巻いた。
この作品を見つけられただけでも本書を読んだ甲斐は十分にあったと評価できる、それほどの作品であった。


この短編集は何か病に冒された著者が自然との美しい交歓を楽しんでいるような作品ばかり集めてきたような感じで(稀に眠気が吹き飛ぶような場面があることにはあるのだが)、前述のように読んでいると次第に気が遠くなっていく。
しかし、解説を読んでいるとこの人に関しては、

  1. 病篤くなる前の作品を読みたい
  2. 長編を読みたい

と思う。
2.に関しては望むべくも無い(この人の作品のレベルから考えると十分に期待できたはずなのにもったいない)が、1.に関しては解説の中で興味を引くようなタイトルが散見されることからも是非、と思う。
『冬の蠅』のような秀作がまだ眠っていそうな気がする。
敢えて探すような気力を喪失させるほど残りの作品が退屈だったのが残念だったが。


紙々の誰そ彼