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爆笑問題のニッポンの教養 生物が生物である理由 分子生物学 (爆笑問題のニッポンの教養 11)
- 作者: 太田光,田中裕二,福岡伸一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/01/11
- メディア: 新書
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著者:太田光, 田中裕二, 福岡伸一
恐ろしい本を発見してしまった。
まさに私が「物語世界観」という言葉で表現したかったことの一部がここに記されていたからである。
読んでいたのは土曜バドの練習会場であったが、一人興奮に包まれていた。
バッハの無伴奏チェロでもこの興奮を抑えることはできなかった。
とんでもない本を見つけてしまったのだ。
前半は名著『生物と無生物のあいだ』の縮小版。
まあ、この手の本はそうなるだろうと予測していたので復習のつもりで読み進める。
問題の箇所は中盤。
「科学とはより優れた説明による言い換えの試み」という発言が出たあたりでお、と思った。
もしや、と思ってその後の展開を追ってみたのだが、やはりこの人も「科学とは説明の枠組み(私に言わせると物語)の一つに過ぎない」という立場、すなわちメタ科学(この表現が正しいか自信はないが)の考え方をしているのだという確信を持たせるような内容だった。
しかもこのシリーズの趣意に沿ったことによる奇跡か、とても解りやすかった。
意外なところで(少なくとも科学についての)世界観を共有する人を見つけたことに感動してしまった(もっとも向こうは学者先生だから「同じ」とか「似ている」などと言われるとはた迷惑であろうが)。
この人は村上陽一郎を知っているのだろうか、読んだことがあるのだろうか、どう思っているのだろうか、と意味もなくワクワクした(理解不能意味不明)。
後半の「この世界は定められたものである(エントロピー増大の法則や所詮我々の行っていることは同じことの繰り返し)という徒労感」を乗り越える話もなかなか興味深かった。
かつて「運命に逆らう人間のはかない抵抗が物語を紡ぎ出す」というフレーズを考えたことがあるのだが、この人たちの行っていることはまさにこれなのではないか、とこれまた一人で盛り上がっていた。
・・・・・・。
感情を全面に押し出すと、まともな書評にはならないが、それは仕方ない。
まだ興奮冷めよらぬ状態なのだから(無責任)。
『生物と無生物のあいだ』に興味を持ったけれども読む気にまではなれなかった人、現代の「科学至上主義」に疑問を感じている人、単に面白い本が読みたい人、全ての人にお勧めできる希に見る良書である(それがこのシリーズから出たものであることが何となく悔しいのだが、まあそれは趣味の問題)。
『生物と無生物のあいだ』は読んでしまった人も、本書は決してその縮小版にとどまっていないので是非読んで欲しい。
科学哲学やパラダイム論、あるいは村上陽一郎辺りの知識があると尚面白く読めるはずであるが、そのような前提知識のない人でも本書で福岡氏が語っていることは耳新しく面白い論として楽しめるはずである。