全てを忘れさせてくれるというなら
喜んで君を受け入れよう


僕を苦しめているのは僕が僕であるという事実
僕が僕であるという記憶なのだ


さあ、君の優しい手で導いてくれ
忘却の彼方へ


忘れるための備忘録2


11/23
勤労感謝の日の休日出勤。
周りは煙が出るような忙しさだが、私一人仕事が他箇所実装待ちの状態で滞っている。
やることが全くないわけではないが、休日に出勤しなければ終わらないような急ぎの仕事はない。
だが、この国の社会では「皆が一緒にがんばっている」という事実が大事なのだろう。
だから私は決められた出勤には従う。


ちなみに、無理に雑務をもらったり、私のために仕事を用意するという無駄なコストを他人に強いたりといったことはしない。
それは私にとってもチームにとっても一文の得にもならないからだ。


11/24
仕事に余裕があれば体調がよくなりそうなものだが、胃腸の調子は夏場の最悪な事態にかなり近い状態にある。
恐らくまだこの気温に適応していないのだろう。


あるいはこの調子でそのまま入院レベルの病気になるかもしれない。
そうすれば望み通り早くこの世に別れを告げることが出来るかも知れない。
そういう健常者にあるまじき反道徳的なことが頭から離れない。
痛みは死への恐怖を和らげてくれる作用があるのかも知れない。
だから人は痛みを感じる必要があるのかも知れない。
生きているということが苦痛であるということを思い出すために。


それとは別に、このところまた、ふと「死にたい」という気持ちに捕らわれることが起こるようになった。
それは苦しみからの逃避でもなく、現状を変えることへの強迫観念でもなく、ものすごく軽い気持ち、例えるなら目にとまった本を手に取るくらいの気持ちである。
狂気の訪れというものはこのようなものかと思った。
まあ、恐がりで意気地のない自我が働いている限り自分から死ぬようなことはないだろうけど。


バドでは最近誰もがしきりに解散を口にするようになった。
もはや誰も存続への努力をするつもりがないらしい。
来週は休みのようだから、早速余所の練習に参加してみようかと思う。
もし来週の平日を乗り切れたらの話だが。


それにしても。
いい加減に君は「予算」というものの意味を理解したらどうかね。
5桁の赤字を出しているのに、両手一杯に本を抱えてレジに行かないの。
まったく。
リベラルアーツ社会学』なんて衝動買いする本じゃないでしょ。

社会学 (New Liberal Arts Selection)

社会学 (New Liberal Arts Selection)

こんな分厚いテキスト、いつ読むの?
だから書店寄るのよそうっていったのに。


11/25
文検に合格していたらしい。
神戸までわざわざ行った甲斐はあったということだ。
次は「ニュース検定」でも受けてみるか?(いや、情報処理の勉強しろよ)


メールとサンプロと家事と読書と買い出しで一日はぬるく過ぎ去っていく。
ピアノ練習とプログラムの勉強が入ればほぼ完璧(あと30分ぐらいしかないけど)な休日(最近はこれにセカンドライフでの生活が加わった。個人的にはメタバースに用事はないのだが、とあるプロジェクト協力のために物作りに励むことになっている)。
土曜日は物資の調達とバドで、日曜は休養(身体+精神)と勉強と記録でリズムを刻んできた。
従って片方が潰されるとそのしわ寄せは大変なものになる。


週6くたくたになるまで働いて欲しいものも守るべきものも達成すべき目標も私にはない。
1日でも早く忘却の彼方へ日を送るためには、仕事しかない日々はあまりにも流れが遅すぎる。
この流れの先が滝となり、瞬時にして私を忘却の彼方へ連れていってくれるものであるのならこのままこの流れに身を委せてもよいのであるが。