てかフツー行かねぇだろう。
まさか本当に行ってしまうとは・・・。
あきれてものもいえましぇん。
いったいどこのどいつだ、そのバカ者は。
(↑お前じゃ)

もしもたった一つだけ願いが叶うなら
君は何を祈る


NEVER EVER by Ayumi Hamasaki

完全なる消滅を。
私と私に関する全ての物と私に関する全ての記憶の消滅を。

愚者を慰める歌が聞こえる


始めからいなかったのさ
そんなやつは


僕は知らないね
そんなやつは

いま私の願いごとが
かなうならば 翼が欲しい


翼をください 作詞:山上路夫

鳥のように生きたいと
夕空見上げて佇むけれど
翼は愚かなあこがれと気づく


人として by海援隊

わかっちゃいる。
わかっちゃいる、けどさ・・・。


電話料金の支払期限が過ぎていたので慌てて払いに行った。
これで2回目。
前回は督促状が来て、「サービス停止日」まで書かれる始末。
早く口座振替にしなければ、と思っているのだが、腰が重い。
それよりひどいのが水道料金で、こちらはコンビニで支払うことすら出来ない。
かろうじて宿直の人がいて土日も支払えるからいいものの、そうでないとしたらとんでもないことになっているぞよ〜(アンタ誰?)。
まあ、しばらくはここにいるのだろうから、手続きはお早めに、ね(だから、アンタだよ)。


[rakuten:book:11453729:detail]
えっ!この人がお金の本を読むなんて・・・という声は・・・どこからも聞こえてこないか。
資本主義を目の敵にしつつ最大のストレス解消法が「本を買うこと」とかぬかしている似非アンチ資本主義者(解りづらいなぁ、もう)であり、マテリアリストである私のことだから仕方ないかも知れない。


だが、まあ、

私の人生は既に終わった

とか

生と死は等価である

とかどうやったらそんなにくさい台詞を恥ずかしげも無く書けるのだろう(恥ずかしすぎて「死んでも」言うことは出来ない)というようなやつが、「真っ当に生きる」ための方法を模索しているとは、という驚きぐらい欲しい。
どうよ。
・・・・・・。
そもそもアンタ誰に話してんのさ。


えー、いつもの無駄な前置きはさておき(さぶ〜)。
本書の評価はまあ、値段相応。
私のようにファイナンス(個人)に関してまったく知識のない人が初めて読むにはよい書である。
ただし、本書を読んだからといって即自分のポートフォリオが組めるようになったりはしない。
これから少しずつ調べて、勉強して、運用していくしかない。


確かに人生は棄てたが、美しく生きることまでは棄ててはいない(正確には結果は放棄したが努力は続けるという点に美を見いだしている。完全な自己満足)。
美しく生きるための条件は星の数ほどあるが(TREIZE閣下に聞くべし!)、その中の重要な1つとして「モチベーションを保持し続けること」がある。
モチベーションを失った人間はそのポテンシャルに関係なく堕落する。
勿論その姿は醜い。
気力・体力ともに激減して、他人に依存する日々を送ることになる。
勿論エレガントとは言い難い。
だから私は無駄だと理解しつつ実現不可能な目的を持ち続ける。


好きなものを好きなときに好きなように学ぶこと。
その自由が人にあってもいいではないか。
音楽だけを学びたい者がいる。
哲学だけをしたい者がいる。
小説だけひたすら読んでいたい者がいる。
全てのことを知りたがる者がいる。
学に対する人の興味関心の向け方は千差万別だ。
しかし、現実の社会では学びたいものを学びたいときに学ぶことを許していない。
生きるのに精一杯であった古代に於いて、学問は「暇をもてあそぶ者」のみに許された贅沢であった(スクールの語源のスコラは暇という意味である)。
だが、多くの者が(全員ではない)のたれ死にの恐怖から解放された現代に於いて、機械が、システムが作り出した膨大な「余暇」を我々は十分に活用できているだろうか。
・・・・・・。
何か、早く本題に入れってカンジ?
いや、ついいつもの癖が。


勝手塾と仮にこれを名付ける。
誰もが(ただし、会員限定!・・・ヲイ)、好きな時に好きなものを学べる(ただし私の興味関心から大きく外れる事項に関しては保証しない・・・ヲイ!)ような空間を提供したい。
そして誰よりも、私がその場にいたい。
・・・ヲイ
お前の我が儘じゃねぇか。
まあ、いいじゃん。
私は自分の好きなときに好きなことを学びたいのだ。
勝手に。
本に囲まれて。
そのような場を作って、会員制にして(会費とって)、皆に開放するのだ。
そして私は会費で自分の好きな学問をするのだ、ムフフ。
↑放っておきましょう、こんなやつ


妄想はさておき。
まあもう少しましな形で(最初は塾のフランチャイズになるかも知れないが)学びの場を提供することが出来ないかな、と考えている。
理由はもう一つある。
自分の体質からいって、定年まで会社勤めが出来る保証がない。
人に養われて生きるのは「美しく」ないから、万が一の時のために独りで出来る仕事を考えておかなければならない(そして勿論そのための資金が必要だ)。
出来れば他の人では代え難いスキルも欲しいところだが、これは望み薄。
独りでも死にものぐるいで働いて爪に火をともすような節約をすればどうにか死ぬまで生きていけるような手段を考えておかなければならない(そして勿論そのための資金が必要だ)。


なーんか本末転倒している気がするけどね。
感性と理性、半分ずつ持った中途半端な性質の人間が生きていくのは辛いことですね。
美しい馬鹿に徹することも醜いリアリストに徹することも出来ないからね。


まあ、人はそうやって生きてきたのだろう(そしてこれからも生きていくのだろう。それは絶望以外の何ものでもないけど、そもそも絶望するほど価値のあるものってこの世の中に無いんじゃない?)。
私もそろそろ逆らって生きていくだけのエネルギーが尽きたようで。
・・・老いたな。