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- アーティスト: KOKIA
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- 発売日: 2007/05/23
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愛が聞こえる
ぬくもり by KOKIA
そう、愛は「聞こえる」のだ。
決して「見える」ものでも「示される」(同じことか)ものでもない。
なきたい
正確には感じているのは閉塞感なのだろうが、この感じはそのように理性で割り切れるようなものではないのだろう。
なきたい
もう記憶しているだけでも7年以上になる。
ドライアイだなんて誤魔化してきたが、事態は思った以上に深刻なのかも知れない。
この手で打ち壊して来た感情の破片は、壊れたガラスのかけらとなって胸に突き刺さっていたのかも知れない。
まあ、実際の感覚としてはひものついた分銅や鉛の玉に引っ張られて沈んでいるといった方が近いのだが(それでは美しくない)。
しかし。
自分はもうどこかで気づいているのかも知れない。
人は独りでは泣けないのかもしれない
一般論とは逆行するけどね。
一人で泣くことは出来ても
一人で笑うことは出来ない
だろ。
だけど一人でいる分には感情など意味をなさないだろう?
全ては快不快に収束されてしまうのだろうから。
まあ、「共感」といってもその実態はそれぞれが自分の快に浸っているだけに過ぎないのだろうけど(ほら、その辺がいけないのだよ)。
100歩譲って(相変わらず素直じゃないなあ)「共感」に各々の快以上の付加価値があるとして、ヲタクや引き籠もりが気持ち悪いのはそのような「共感」をシャットアウトして自らの快(不快)に固執しているからだろう。
東浩紀が「動物」と呼んでいるものもそのような快不快原則だけの(性)世界を自分たちで作り上げている者たちのことだろう。
そのような者たちを私は嫌悪し、憎悪すらしているのだが、それは自分がそのような者たちと五十歩百歩の位置にいるからなのかも知れない。
いわゆる近親憎悪ってやつ。
認めたくないけど。
たぶん一生認めないけど。
夢で懐かしい人に会った。
懐かしいとはあくまで修辞上の話で、自分の感情を分析するとおそらくそのようなことを感じていたのではないかと思われたということだけではあるが。
・・・・・・。
今日は自分のひねくれた言い訳は聞きたくない。
そうやって自分や自分の身体の変化や自分の感情(まだあるとすれば)を片端から否定していくから自滅するのだといい加減気づいたらどうなんだ。
・・・・・・。
いや、気づいているのだろう。
認めたがらないだけなのだ。
もう君を嗤う人はだれもいない
君以外には
だから後は君の問題だ
君が上手く今の君と折り合いをつけるまで
その病は治らないよ
その人はあの頃と同じように快活で活発でこちらの事情なんてお構いなしに私を強引に振り回していた。
当時は私も無知で快活で、持ち前の小賢しさと達者な口で応酬していた・・・。
勿論それは失われてしまった過去を美化しようとする妄想に過ぎないのだが、自分に本当に必要なものはなくしてからしか気づくことが出来ない悲しい人間のサガがそこには現れている。
私も人間の端くれとしてその例に漏れるものではない。
失われたものに気づいて、それを取り戻そうとしてもそれは取り戻せない。
記憶は年月を経るごとに当人の中で純化されるが、現実に手に入れることが出来るものはそれとは似ても似つかない偽物でしかない。
偽物を本物と自分に思いこませ、「これが欲しかったのだ」と自分に言い聞かせ、自分を騙し続けていくことが「生きる」という業であり、それに慣れていくのが大人であるとすれば、私は生涯大人にはなるまい。
そしてそれはまさに人生という悲劇の幕開けの合図である。
自分を水際に追い込むために意図的に過去を捨て、遺物を封印し、振り向くことを戒めてきた。
夢潰え、幻想を自ら破り、気力・体力共に消耗しきった今になって古い記憶が頭をもたげてくることになることは
想定内
のことである。
だからといってその事態に直面したときのわたしの反応まで制御できるほど<わたし>はこの自分を支配できていない。
受け入れるしかないのだが、<わたし>はまた全力で否認するのだろう。
そしてまた自分の首を絞める行を続けていく・・・。
その夢は小学校の頃のことであったと記憶しているが、定かではない。