明後日も人

文藝春秋 2007年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2007年 09月号 [雑誌]

こちらも久しぶりに手を出した。
何かというと、芥川賞受賞作チェックである。
以前に読んだ芥川賞受賞作は『グランドフィナーレ』『介護入門』(どっちを先に読んだか忘れた)で、特に後者は面白かった記憶がある。
その前のダブル受賞作はひどかった。
そのような薄い印象しかない。
だいたい芥川賞受賞作というのは「最も意味不明な」作品が受賞するという自分なりの偏見が定着している。
まあ、「純文学」というジャンルがそもそも「意味不明」なものなのかもしれないけど。
私は小説はよく読むが、「文学」には興味がないので(常々言っているように私が問題にするのは「物語」としての質だけである)こういう位置づけになるのだろう。


で、相変わらずの長い前置きはこのくらいにして。
受賞作の印象は、以下の二つに集約される。

  1. 著者の「意図」を感じる
  2. そもそもこれは小説ではない

まあ、石原さんがぼろくそに言うほどひどいものではなく、それなりに興味をそそる部分もあったが、そもそも、この賞は「小説」に与えられるものではなかったのか?
これは「思考実験」であっても「小説」ではない。
ある評者の言うとおり、まさしくこれは「哲学」であるが、ニーチェショーペンハウアーの中途半端な理解の元に書かれた出来損ないである(同様の思考実験書なら外にもっと質の高いものを知っているし、それこそニーチェの「ツアラトゥストラかく語りき」を知っているものならこの程度の「狂気」に満足するものではないだろう。或いはサリンジャーとか)。
「日常」を意識的に取り込むことで「アサッテ」がますます困難になるなどの記述にはなるほどと思わされる部分があったが、やはりこれは「小説」ではない。
突き詰めていくと人に通じるように語れなくなるのが哲学のジレンマであるが、もしその域に到達したのであればそれこそ「語り得ぬものに対しては」が示しているとおり、沈黙するのが正しいと思う。


新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))

新世紀エヴァンゲリオン (11) (角川コミックス・エース (KCA12-11))

仲間内から「カヲル君」と呼ばれていたこともあった。
当時の私は富野に傾倒していたため「エヴァ」そのものが嫌いであったが(まあその頃はまだ「健全」な精神を持っていたのだと思う)、不健全で病的になった今ではその精神を「理解」出来るようになってしまった。
「カヲル君」に関しても今ではそう呼ばれることになんの抵抗もない・・・のか?
男色には興味がないぞ、言っておくが。
まあ、「歌はいいねぇ」と言いたくなる気分はよく解る、ということに止めておこう。


同期の方がコンビニで立ち読みしているのを見て「ああ、出ていたのか」と思った。
そして即購入が決定した(←ここは笑うところです)。
塾で教えていた生徒からビデオを借りたことをきっかけに、劇場版DVD、フィルムブック、漫画とこの作品に関しては(勿論ヲタク・マニア的なオムニバス・同人を除いて)コンプリートしつつある。
映画に関しては・・・今のところ興味がないので・・・DVDになったら観てみてもいいかな(なんだ、十分興味があるじゃん)。


この作品に興味を持つようになったのは、ちょうどキリスト教異端思想グノーシスに興味を持つようになってからのことである。
観てみるとグノーシスについての要素は少なく、ユダヤ教神秘思想カバラユングフロイト心理学の要素が核となっているようだ。
心理学的要素に関しては非常に浅いものとなっているが、カバラ的要素に関してはその構成への反映が見事であると思う部分が多々あった。
まあ、本人が述べているように単なる庵野の自慰ショーに過ぎないと言ってしまえばそれまでだが。


と蘊蓄を述べてみたところで(所謂包帯美少女萌えなる)世間のあほ騒ぎに負けず劣らずアホな興味関心なのだろう。
まあ、なんと言われようとかまわん。
バッハを始めとするバロック音楽に興味を持つようになったのも本作の影響であるし。


漫画版はどちらに進むのかと危惧していたのだが(トウジの扱いは◎)、戦自が登場したのをみるとどうやら(旧)劇場版の流れに持ち込むようだ。
よしよし(爆)。