「狂い」のすすめ (集英社新書)

「狂い」のすすめ (集英社新書)

書名:「狂い」のすすめ
著者:ひろさちや


読む価値なし。
何が、「狂い」だ。
貴方の書いてあることはまさに貴方が敵視している「常識」ではないか。
しかも、貴方は間違っている。
「世間」から自由になるためには強くなければならない。
貴方の言うような「弱者」は騙されて「世間」にコミットしているわけではない。
ただ単に「弱い」から「世間」にコミットせざるを得ないのだ。
何かに執着して自分を捨てているような人たちは「弱い」人たちであり、貴方の言っているように生きるためには「強く」ある必要がある点で貴方の言説は始めから論理崩壊している。
なるほど、そういう点で貴方は「狂って」いるのかもしれない。
そうだとすれば、何故貴方は「世間」の言葉で「世間」に呼びかけているのか。
真に「狂って」いるのなら、本を書いたりせず市井に埋もれているはずではないのか。
貴方はこれだけのことを学びながら(引用はさすがに示唆に富んでいる。それだけが本書の取り柄である)、いったい何を身につけたというのか。
間違えてもこの人の言うことを真に受けてはならない。


「人間嫌い」のルール (PHP新書)

「人間嫌い」のルール (PHP新書)

日本に生きる現代のショーペンハウアー(と私が勝手に呼んでいる)、中島氏の最新作。
以前から「人間嫌い」を公言する氏が、これまでの言説をまとめた集大成の書、といえば氏のことを知っている者の多くが興味を持つであろう。
上記の書があまりにもひどかったので、味直しに読んだ。
さすがである。
「狂う」とはこの水準のことを言うのであり、「世間」に守られながらぬくぬくと生きてきた者が得意顔で「狂人」のまねごとをしてみてもちっとも面白くないのはこのような真の「狂人」を知る者として当然の反応である(そしてこの点こそが哲学と似非哲学の境界線である)。
ただし、面白いのは「人間嫌い」の分析と、氏自身の体験までで、提言の部分はあまり読む価値がない。
理由は簡単で、氏自身が認めるとおり、これは単なる氏の我が儘を押し広めたものであり、普遍性に欠けるからである。


ちなみに私の「人間嫌い」は氏とは質が違う(私はそもそも生物全般が嫌いである)ので、直接氏の生き方が参考になることはない。
が、「意味」についての真実に「気づき」、絶望した者にとって取るべき選択肢のうち、「ショーペンハウアー」的生き方(もう一つの代表はニーチェ)をするとすれば(そしてそれが「正しい」「生き方」なのであるが)、氏の生き方は一つ参考になるだろう。
そうでないものにとっては、氏の体験とその意味づけは鑑賞に値するものであるということを(つまりは腹がよじれるほど面白いことを)保証する。