7/8である。
記録の意味を決めるのは後生の人間である。
私は記述するのみ。


私にアルコールを飲ませようという計画があるらしい。
さすがにこう何度も飲み会に出席して何も飲まず何も話さずに座っていると気味が悪いのだろう。
邪魔であるのなら来るなと言えばいいのだろうが、恐らく「こいつは何か隠しているのではないか」「飲まされることを期待しているのではないか」「もったいぶっているのではないか」といった勘ぐりが働いているものだと思われる。
あらかじめ事実を述べておくと、(特に現状で)私がアルコールを摂取した場合、間違いなく「壊れる」。
これが一般的に言う「大脳新皮質の働きの低下により、行動に抑制がかからなくなる」という意味での「壊れる」であれば、ニヒリストとして歓迎きわまりないところであるが、私の場合はそのような面白い現象が生じる前に、単にからだが壊れるだけなので何も面白いことはない。
これは昨年の夏に「そろそろ大丈夫かな」と思って飲んで壊れたのを確認しているからたぶん確かである。


だからといって私は自分の身体の行く末に興味がないし、仕事に差し支えが出ようが、計画に支障をきたそうが、知ったことではない。
困るのはたぶん周囲の人で、私は周囲の人が困ることに関しては特に感ずるところはないが、一応事実は述べることにしている。
後の判断はその人がすることで、私の意思はそもそも存在していないのだから気にすることはない。


その割には身体に配慮した慎重な行動をとるではないか、という指摘は誠に至極ごもっともであるが、私に言わせれば、分かれ道で左:危険、右:安全と書いてあったときに左を選ぶ(選ばないという選択肢もあるが、その場で動かなくなるとただ邪魔なだけであり、そのうち強制排除されるだろうし、強制排除されるのを待つほど自分の選択に意味を持たせようとも思わない)のと同じレベルの話である。
誰かが「その人にとって」何らかの意味を持たせるつもりで私に右の道を強要するならば、特にそれに逆らう理由はない。


まあ、健闘を祈る。


私は既にこの国の「一般的」な人が手に入れても不思議ではない「喜び」や「幸せ」という言葉で表現されるものを手に入れることを諦めている。
それはこの身体が原因であるのだが、そのことを少しも残念には思っていない。
理由は二つで、一つはそもそもそういうものへの関心はきわめて薄かったこと、もう一つは、自分の身体に失望したことである。


かつて「どうしても手に入れたいもの」があったことは事実であるが、そのような重要な時期に、この身体は私の期待を裏切り、全てを駄目にしてしまった。
原因は勿論自分の身体を制御しきれなかった私にあるのだが(昔から私は自分の身体と仲が良くなかった)、求められる水準が厳然としてある以上、無理な要求でも課すしか選択肢はなく、それに応えられなかったのであれば諦める以外に選択肢が残されているはずがない(後は死あるのみであるが、幸いというか不幸にというか、その時には死ぬだけのエネルギーも残っていなかった)。
爾来、私は自分の身体と決別し、適度に要求は聞くが、基本的にそいつの言うことは無視するようにしている。
聞いてやったところで、要求がエスカレートするだけで、こちらの期待にはいっさい応えないということが解っているからである。


というわけで<わたし>は現在わたしと交戦中なのであるが、外から見ればなんのこっちゃということになるだろう。
自分の中に他者を抱えている状態でして、と言ったところで「この人大丈夫か?」と思うだけであるし、そう思うべきである。
一番いいのは危険なやつだと見なして近づかないことであるが、まあ、不幸にも拘わらざるを得なくなった人には単に無視することを勧める。
基本的には無害だと思うが、その分無気力無感動で叩いたら何の音も出さずにおとなしく潰れるだけである。
意外にしぶとかったりもするからその辺を楽しむ人がいるならいじってみるのも面白いかも知れないが、たぶん期待を裏切る結果にしかならないだろうから(なにせ自分を失望させてばかりいる)あまり勧めない。


まあ、適当にやってくれ。

君が死ねと言うのなら
僕は喜んで死のう
ただし君が殺してくれ
僕にはもう死ぬ気力すらないのだから
大丈夫
僕は君を恨まない
約束するよ


読み人知らず