1/17である。
副題は卒論のフォルダ名から。


終わりは意外とあっけのないものであった。
世界最終戦争もハルマゲドンも起こらず。
まあ、8割方このような結末になると予想していたのであるが。
ただ粛々と、(時間がおしていたので)かなりの早口で説明していっただけ。
「ご感想」を、と言える状況でもなく(あの論文のひどさは私が一番よく知っている)、まあやはりずいぶん前から見放されていたのだな、ということを確認しただけ。
解りづらいな。
要は、出せばとりあえずO.K.という状況はそのままお言葉通りだったというわけで、ひどい論文だから単位を取り消すという事態はこちらもやはり私の杞憂だったということを確認し・・・
なんだ、ちっとも「要」してないではないか。
まあ、とりあえず9割方卒業は確定ということだろう。


しかし、「保険」の試験は受けておく。
別に先生を信用していないわけではなく(まあ、そもそも私は人を信用したりはしないのであるが)、万に一つでも可能性がある場合は、可能な限り悲観的な観測をした上でリスクをヘッジするという神経質な小心者の性格に過ぎない。
そして悲観的に見ることで悪い結果の衝撃を少しでも和らげようとする心理学的自己防衛機能の働きも認識しているから、つくづく<わたし>は「わたし」を嫌なやつと思い、「わたし」はそのストレスに耐えかねてわたしが直接的被害を被るという構図が崩れることはない。


胃腸が治らないわけである。
ここ半年以上飲み会では、「胃腸が・・・」という言い訳をして烏龍茶で乗り切ってきた(ちなみにここだけの話、本当に胃腸をやられているのである)。
今日も私の送別を兼ねた新年会があったが、飲まずに過ごした。
そして時計を見て、「あ、塾の授業が出来る」ということで塾に電話をかけ、休みにしていた最後のコマを復活させた。
私の体調より受験生の勉強の方が大事だ。
既に人生を降りた私にはもう何の可能性も残されていないが、彼らはまだ人生を降りておらず、それなりの希望を持っている分、可能性もあるのだから、合理的に考えれば我が身を犠牲にして彼らの発展を助ける方が社会的にみて効用が大きいのである。


さて、と。
まだ終わったわけではない。
むしろこれから始まるのだ。
次の査定は10年後。
今、ここに自戒の念をこめて、自らの敗北を認めた宣言を記そう。

あとがきにかえて


 本来ここに来るべきは「あとがき」であり、論文の指導をしていただいた教官に対する謝辞である。しかし、小生はここに素直に本論文の「あとがき」を載せることが出来ない。理由はただ一つ、本文がおよそ論文の名に値しない「不合格」論文だからである。


 長期間にわたる産みの苦しみの果てに気がふれてしまったわけではない。冷静に客観的に見た上で到達した結論である。


 学問には形而上学と形而下学とがあり、それに従って論文は以下の三つのいずれかの意義を持たなければならない。一つは、新しい事実の発見である。これは純粋にこれまで知られていなかった事実を発見することに加えて、これまでの見解を覆すような、あるいはこれまでの見解に何かを付け加えるような論文も含む。これは多分に実証を必要とすることから、形而下学と言える。二つには、新しい理論の構築である。これは具体例を以て論証することを必要とするが、形而上学の度合いが強い。三つには、これまでの見解を整理し、問題を明らかにするか、あるいは新たな用語や概念を用いてこれを捉え直すことである。これは完全に形而上学となる。


 歴史学は、少なくとも科学たらんとする歴史学は、形而下学でなければならない。すなわち、実証を旨とし、仮説の検証のために一次史料を解読していく作業を重ねなければならない。しかるに、本論文はどうひいき目に見積もっても形而上学である。一次史料の批判はわずかに一章を割くのみにして、しかも全体の比率からすれば甚だ少ない。更に、仮説をしっかりと実証できたとはとうてい言い難いような史料批判となっている。


 ではこれを論文の存在意義の三に照らし合わせて評価するとすればどうか。やはり話にならないだろう。本文並びに脚注を辿っていけば一目瞭然であるが、本論文の仮説は三人の研究者の主要な研究の寄せ集めに過ぎない。確かに「財源」や「インセンティブ」などともっともらしい用語を持ち出してはいるが、その中で言っていることは結局この三人の研究者がしっかりと実証まで行った上で述べられている内にとどまり、そこから半歩たりとも出ていない。小生はこの事実を以て自らこの論文を「フランケンシュタイン」と形容したが、最後までそのような批判を免れうるような論文にすることは出来なかった。


 さて、ここで疑問が生じるのは当然である。即ち、ここまで問題点が明らかであるのに、どうして論文を改善しなかったのかという問題である。もう少し言うならば、このような「反省文」を書く間に、一つでも多くの史料を読み、論文の精度を高めるべきではなかったのか、という疑問である。


 確かに、今なすべきことはこのような文章を書くことではなく、一つでも多くの史料を読むことなのであろう。しかし、問題の根は深く、残されたあとわずかな時間では改善の見込みも立たない。ここはこの論文の「失敗」を認め、そこに至った原因を記述しておくことがこれからの小生の学問の改善に寄与するものと信じてここに自戒の念を込めて反省を行うことにした次第である。


 最も大きな「失敗」の要因は、小生の史料批判能力にある。単純に言えば、小生には漢文の史料批判能力が著しく欠如しており、そのことがこのような実証の薄い論文を書かざるを得ない状況を招いた。ではなぜこれは改善されなかったのか。一つには基礎学力の不足が挙げられる。小生には漢文の史料を読むために必要な漢文・漢字・工具書の使用法・中国語の知識が著しく欠けていた。勿論この改善には取り組んだが、モチベーションにかける学習であり、ついにそれが実ることはなかった。先生に設けていただいた史料を読む授業も自らその機会を放棄してしまった。その背景には小生の「好事家」的態度があるだろう。先生は常々、歴史学を行うにあたり、「好事家」であってはならない、とおっしゃっていた。そのお言葉に襟を正したつもりでいたが、このような状況に至ったところをみると、小生はやはり歴史に対して「好事家」でしかなかったのだと言うほかない。論文を作成する過程で小生は自分の「好事家」的態度を発見してしまった。それが、小生が当初考えていた進学を諦めた理由の一つでもある。他にも最初の段階で日本の「教育改革」を調べることに時間を費やしすぎたこと、仮説の構築が遅れたこと、論文の作成に十分な時間を費やすことが出来なかったことなどが「失敗」の要因として挙げられるが、やはり小生の「好事家」的態度こそがこのような「フランケンシュタイン」論文を産み出してしまった主因であることに変わりはないだろう。


 最後に、このような出来の悪い生徒を根気強く指導していただいた先生に深い感謝を捧げたい。同時に、そのようなご指導にも拘わらず、このようなひどい論文しか書くことが出来なかったことを深くお詫び申し上げたい。この論文の不出来の責はすべて小生にある。少なくともこの論文を以て先生のご指導を受けたとは口が裂けても言うことは出来ない。一刻も早く先生のゼミ生として恥ずかしくないような学徒となれるよう、精進を重ねたい。

めぐり来る
季節の中で
この地球[ほし]が
消え去るときには


心ごと
ゼロに戻して
少年の瞳で見つめて      "moment" by Vivian or Kazuma