すなわち、一切の価値は幻想に過ぎない。


価値のテロリストを自称するなら、自分のイメージも破壊しなければならないだろう。


パドをしてきたが、腹が減らない。
今日は一食しか食べていないのに。
仕方がない。
腹が減るまでは自分をいじめるか。
(断っておくが私はマゾヒストではない)


自惚れているわけではないが、私は自分が把握しているよりも、かなりいい印象を持たれているようだから、私が実のところどんなに馬鹿で愚図で間抜けかをアピールしなければならないだろう。
落ち着いている、という評価があるが、単にやる気がないだけである。
或いは疲れているだけか。
すましている、偉そうだ、という評価は間違ってはいない。
事実、昔、私は自分は偉い人間だと信じ込んでいた。
自分の欠点には目をつぶり、自分の堕落した部分は記憶から排除し、自意識は過剰だった(今もそうかも知れない。ただし少なくとも本人はそのつもりはない)。
自分が凡人以下で、箸にも棒にもかからない人間だと気づいたとき、私にとっての課題は、この肥大化した自己をいかにして等身大以下にまで納めるかということであった。
まあ、それは不可能であり、だからこそ私は自分の結末が悲劇(しかもものすごく見苦しい)にしかならないことを知っている。
それにしても。
まあ、出来ることなら謙虚になりたいと思う。
だからこうやって恥を暴露する。
イメージダウンに必死なのである。
ちなみに、何か凹むようなことが今日有ったのではないかという推測は間違っている。
むしろ今日は誉められた方だ。
誉められたからこそ自分を戒めるのである。
(繰り返すが私はマゾヒストではない)


こけた。
(受験生には失礼だが)
今日、自転車でこけたのである。
一応状況を説明する。
パドに向かうため家を出た。
荷物は比較的軽い(リュック×1、ラケット×2)
かごにラケットを入れていた。
上り坂なのでペダルの上に立ってこいでいた。
ラケットが自分の方を向いており、腹の方に当たるので、向きを変えようと思った。
その瞬間に。
バランスを崩した。
・・・・・・。
・・・・・・。
まず周りの目を気にした辺りに性格が出ている。
そのあと、自転車の確認。
前方のかごがひしゃげているが、あとは問題なし。
最後に自分の確認。
左膝に擦り傷(極軽傷)。
右足付け根辺りに違和感。
足は問題なく動く。
前のめりになって、両手をついたのが幸いだったらしい。
特に問題はなかったのでそのままパドへ。
運動中も支障は無かった。


原因の分析。
1時間前ぐらいに昼食を食べた(PM 18:45ぐらい)。
帰ってコーヒーを飲んだが、どうやら体はまだお休みモードだったらしい。
いずれにせよ、間抜けだ。
笑える。
みんなで笑おう。
あはははは。


・・・・・・。
(繰り返すが・・。ああ、もうどうにでもいいや。マゾヒストだろうがナルシストだろうが好きに呼べばいいじゃないか)


帰りにB○○k○ffに寄った。
本を買い漁った。
締めて二十三冊。
どこにおくねん。
その前に。
自転車のかごに収まりきらない・・・。
コンビニで買い物したら、尚のこと大変なことになった。
落ちそうになる本を
手で押さえながら自転車をこぐ。
踏切
踏切
だから、踏切だってば。
電車が来ている。
・・・・・・。
・・・・・・。
止まらない。
慌てて足で止める。
なにやっとんじゃ、われ。
本を大量に抱えて電車に轢かれたらそれこそ笑いものだ。
あ。
それでも面白かったかも知れない。


お腹がすかない。
カミングアウト続行。


前に習い事をしていると言ったが、その一端を明らかにする。
まあ、一部の人間は知っているのだが。
今年から習い始めたのはピアノである。
昔から習いたかったのは事実だが、時間がなかった。
嘘だ。
時間はあったのだ。
ただ、その時間は浪費されていた。
本ばかり読んでいたって?
それも嘘だ。
確かに本は読んでいた。
中学時代は、記録だけ見れば年間300冊超になっているはずだ。
高校は年間100冊ぐらいか。
だが、それすら嘘だ。
冊数はかなり脚色されている。
数にはろくに読まずに返却した本が多く含まれているはずだ。
しかも、肝心の古典を読んでいなかった。
まともに読んだのはヘミングウェーぐらいだ。
関心の対象はもっぱらファンタジーと経済関係だった。
ただし、経済は数学的なものが一切出てこないものに限る。
勉強もしていなかった。
受験前の数ヶ月を除くと、ほとんど何もやっていない。
学校は進学校で、テスト勉強ぐらいはしていたが、その程度で受かるような大学ではない大学に今自分はいる。
では何故受かったのか。
一つには戦略が当たったことが上げられるが、結局運が良かっただけだろうというのがこのところの見解である。
いや、それも嘘だ。
受かった時にすでにこれは"運"だということが解っていたが、敢えて自分の中でその事実を隠していたのである。
その証拠に、私は(滑り止め合格を除いて)二校五学部(しかもAOはものの見事に撃沈した)受けたことをあまり話したがらなかった(別に聞かれもしなかったが)。
貴重な中・高時代をどう過ごしていたのか。
勉強もせず、体も鍛えず、本の読み方も間違っていた。
結局tv-game漬けだっただけなのである。
そう、まさにこのtv-gameこそ、私の現在の弱点の一つである。
ただでさえ時間が無く、起きている時間中パソコンの画面か活字を見ている私にとって、時間を食いつぶし、目を疲れさせるこの遊戯は天敵なのである。
こやつに食われた時間はおそらく天文学的な数字になる。
一例を挙げれば、一日10時間×5日〜10日ということを平気でやっていた。
私は中毒級のゲーマーだったのである。
原因は、小さい頃に必要以上に禁止・制限されたことだと最近まで信じてきたが、どうも怪しい。
要は私も安きに流れやすい人間だったということなのだろう。
過去形にするにはまだ早い気がするが。
最近になってようやく相対化することが出来るようになってきたというところ。
ただし卒業は遠くないだろうという予感がある。
一人カラオケはさんざん書いたからばれているとして。
私にとっての弱点&汚点となる過去は他にも
持病(非公開)
かつて抱いていたくだらない&もう諦めた夢(ごく一部の人間は知っている)
性的嗜好(非公開、ただし、ホモでもバイでもないことは言っておく。まあ、そもそもわたしは人間、いや、生きとし生けるもの全てが嫌いなのだから、嗜好もへったくりも無いと思うが)?
などが考えられるが、ここでは敢えて言わない。
理由
1.仕事がやりづらくなる
2.十分な理由を説明する時間がない
3.批判に耐える体力がない
4.そのうち克服する予定である
など。
まあ私は人と関わりを持つ予定がないので(「私の人生戦略」公開中→http://www.geocities.jp/treizezero/strategy.doc:私の人生戦略(提出用))おそらくこれらは私があの世に持っていく秘密になるだろう。
秘密がある方が人としては面白いと思う。
う〜ん。
やはり、就職は無理だな。


話がだいぶそれた。
習い事の話。
まあ、この年になってようやく自分がやりたかった?ことが解ったというだけなのである。
もう柔軟性もないから手遅れなのだろうが、音楽については本格的に学びたい。
音大にいって勉強が出来れば幸せだろうが、まあ無理だろう。
音楽関係の仕事に就きたいとかそういうことではない。
音楽を理解したい、それだけである。
音も出したいが、人に聞かせたいとは思わない(まあそもそも人に聞かせられるレベルではないし、才能もないからとうていそのレベルに到達することはない)。
早くて10年、まあそれ以上先のことである。
この間の東大模試も、その関連だ。
私は去年の秋になって、ようやく自ら学問をしたいと思うようになった。
これまでやってきたことが無意味であったことを理解し(だから卒論の差し戻しは当然だと思った。あんな張りぼてが通るわけ無い)、zeroからまた積み上げたいと思ったのだ。
まあ、これまでの学問の唯一の成果は、「それが無意味であることが解るようになった」という理解に私を到達させたことであるな。
それだけでも大きいと思うが、まあ、zeroはzeroだ。
確かに、人より少し出来る部分もあるだろうが、必要な水準に達していないものは、zeroでしかない。
この世界の基準は(少なくとも私にとっては)zeroか1かである。
(近く、私の世界観をHPに公開する)
私の積み上げてきたものは、小数点以下の数字でしかなかったから、すなわちzeroなのである。
私が進学を断念したのはそういう理由からだ。
私は要領が悪い方ではないから、このまま誤魔化してもまだ少しは進むだろう。
しかし、いつまでもは続かない。
そもそも、少なくとも7年のハンディキャップがあるのだ。
それが小手先の努力で埋まるはずがない。
そう考えたとき、これはやり直しだと思った。
東大でなくてもいい。
もう一度大学に入る。
学部生として。
音大とこれといずれか(出来れば両方)が当面の目標になるだろう。
まあ、無理だ。
そして私は就職する(採用されれば、だな。されなければのたれ死にする。むしろのたれ死にしたい)。
矛盾しているように見えるか?
私の中では筋道がたっている。
もうこれ以上人の金で生活することは耐えられない。
私は飼育小屋の豚ではない。
生きるために生きることには何の価値もないのだ。
少なくとも私にとっては。


私が彼を殺した (講談社文庫)

私が彼を殺した (講談社文庫)

虹を操る少年 (講談社文庫)

虹を操る少年 (講談社文庫)

卒業 (講談社文庫)

卒業 (講談社文庫)