8/15である。
日曜の朝に早起きしても何の特にもならない。
せいぜい駄文が増えるだけだ。


惹かれそうになった。
・・・もとい。
轢かれそうになった。
勿論、車に、である。


袋小路から急に頭を出してきた(いったん停止したようにも、そのまま飛び出そうとしていたようにも、どちらにもとれるが、どちらでもいい。その意味で私は人を責めることに何の意味も見いださない。時間の無駄でしかない)。
で、そのままだとぶつかるので前輪に急ブレーキをかけた(本当はあまりよくない。が、どうしても右手だけでブレーキをかけてしまう癖が抜けない)。


本当に余裕のないブレーキのかけ方だったので、うまく止まることができず、前に転んだ。
幸い、手をついたので、手のひらをすりむく程度のごく軽微な損傷で済んだ。
しかし、いわゆる「ヒヤリはっと」は何度も経験しているが、これほど明確な形で事故寸前まで行ったのは初めてである。
ぼーっとしている場合ではない(おそらく薬のせいではなく、胃腸の不調のせいだと思われる)。
気をつけなければ(気をつけられるものならば)。


本当にぶつかっていたとしたら、おそらく前方不注意でこちらの責任になる。
右側の歩道を走っている・ヘッドフォンをしている、と不利な点が2点もあるからな。
いや、責任なんてどうでもよいのだ。
そのようなつまらないこと(交通事故)で、物語の幕引きとなることがいかんのだ。
それではあまりにもつまらなすぎる。

この日はピンクのシャツを着てバドミントンした。
しかも、シマシマのピンク。
・・・・・・。
・・・・・・。
どうした?
ふられたか?
まさか、そんな。


誕生日プレゼントにいただいたので、着ていっただけです。
それにしてもピンク・・・。


まあ、いいや。
既にもう真っ赤な服を4度も着ているので、今更ピンクがなんだ。


それにしても。
似合うと言われるのは嬉しいが、「高校生みたい」・・・というのはちょっと・・・。
素直に喜んでいいものか。

何故私は赤を纏うのか


私は黒しか着ない。
また、黒以外の服は持っていない(フォーマルな服は除く)。
・・・はずだった(私が黒を着る理由は、もう何度もリンクしたが、再度リンクを張る)。


それが何故赤を着ることになったのか。
理由は3点ある。
が、2点はほとんどどうでもよい些末な事項で、主要な理由は1つだけである。


些末な方から説明する。
1点目は、単なる興味本位。
ここ数年(少なくとも10年)黒しか着ていなかった(制服とスーツを除くと1度だけ白を着たことがあるだけで、後は黒)から、黒以外の色をつけるとどうなるのか試してみたくなった。
周囲の反応と、自分の反応である。
私に言わせれば、本人が主義主張を曲げて異なった行動に出るのは、驚天動地の出来事なのであるが、大概の人にとってそれは、「髪型を変えた」程度のものとしか映らなかったようである。
まあ、ここに来てからは、まだ2年と経っていないので、黒イメージもそこまで強いものでもなかったのかも知れない。
まあ、それは本当にどうでもよいことである。
ちなみに自分は意外なほど問題なく適応した。
4年ほど前に白シャツを着せられた時にはふわふわしてそうとう落ち着かなかったのだが。


2点目は、意思表示。
仕事で自分の作業が遅れていたので、強い意志を持って早朝出勤し、集中して仕事を片付けた。
遅れを認識していること、そしてそれを取り戻そうと気合いを入れていること、それを強烈にアピールし、自分でも強く意識するために普段と違う色の服を着ていくという行為は非常に都合がよかった。


で、最も肝心な理由。
自分の殻に閉じこもっている状態から脱却するため。
何だかんだ理屈をつけてみても、結局自分の主義主張で凝り固まっていて他を一切受け付けないというのは、単に自分の殻に閉じこもっているだけの引き籠もりに過ぎない。
黒ずくめはその象徴。
過去、長かった髪も同じこと。
別に引き籠もること自体は自分にとってマイナスになるだけなので構わないのだが、それでは物語はいつも同じところにとどまったままである。
新たな物語を生み出すことが出来ない。
新たな物語を生み出さなければ生きている意味がない。


病気の件もそうなのだが、結局自分の殻に閉じこもることで自己嫌悪のスパイラルから抜け出せなくなっている。
他者を拒絶することに対しては天才的な能力を発揮するこの人のことだから、外圧は全く期待できない。
変わろうとするならば、自分から変わるしかない。


それ故の赤と黒なのである。