正義は信念と共にある

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

書名:クライマーズ・ハイ (文春文庫)
著者:横山秀夫


■評価:優
  物語:○ 情報:○ 斬新さ:○ 意外性:○ 含意の深さ:◎ ムーブメント:○ 構成:○ 日本語:○
  お勧め出来る人 :組織と自分との相克で葛藤している人
  お勧めできない人:ワイドショーが好きな人


■所感
 様々なテーマを含んだ力作。

  1. 組織との相克
  2. 職と生き方
  3. 家族、特に父子の間の心の交流
  4. 報道のあり方
  5. 「新聞屋」の矜恃

 通常はこれだけのテーマを1つの小説に盛り込んでしまうと、どれかは中途半端になってしまうものであるが、その全てに著者なりの解答を用意しているところが、この著者の非凡さを証明している。


1.組織との相克
 組織と自分の信念が対立したとき、どのように考え、何を思い、そしてどのような決断をするか。
 組織に属している多くの者にとって、永遠の課題である。
 組織と正面からぶつかるか、丹念に根回しをして網の目をくぐり抜けるか、どこかで自分の納得のできる妥協案を探し出すか、或いは、組織の圧力に屈して自分の信念を曲げるか・・・。


 どの選択肢を選んだとしても、周囲からの批判と後悔は避けられない。
 だからこそ、「自分で選んだ」という覚悟が大事になる。
 「自分の判断で選んだ」という覚悟があれば、周囲の批判に対しても、また自らの内部からの突き上げに対しても、胸を張って生きることが出来る。


 最後の最後になって、主人公はようやく「自分の判断で選んだ」と言える決断をすることが出来た。
 だから、もう誰にも謝らなくて済む。 


2.職と生き方
 本書の鍵を握る主人公の友人は、主人公と同じ社に属していながら、主人公とは全く異なる生き方をした。
 本書は、職に対する態度と、職を通してどのように生きるか、という人の生き方についても深い問いを投げかけている。
 

 本書ではまた、様々な部署の人間がそれぞれの立場に立った主張を行っている。
 当たり前のことであるが、そこには利害が発生する。
 本書では主人公の視点で描かれているため、読者は主人公の立場で本書を読み進めることとなるが、その状態であっても、相手側の主張に一理あることを否が応でも思い知らされる。
 その部署にはその部署の事情があり、その部署で働いている人の事情があり、守るべきものがある。
 本書の主人公はこれに果敢に挑戦することになるのだが、その際に読者は「自分の信念を通すこと」が相手とぶつかること、そしてその結果双方にそれ相応の「血が流れる」ことが避けられないことを知るだろう。
 

 これは、何か新しいこと、異例なことを敢行する際には必ず起こることであるが、日本の組織ではおうおうにしてこのような「血が流れる」事態を忌避する性癖がある。
 しかし、「誰の血も流さないこと」を最優先にした組織はやがて時代から取り残されて、「誰の血も流さず」に「せーの」で共倒れになる。
 だからいずれ誰かがやらなければならないことなのだが、本書が教えているとおり、その時には「血を流す」覚悟がなければならない。


3.家族、特に父子の間の心の交流
 主人公は不器用な人間である。
 仕事は出来るが、相手との関係を上手く築くことが出来ない。
 

 上の者にくってかかる気概はとても勇ましく見えるが、下の者に対しても同じ厳しさを要求してしまう。
 典型的な「自分に厳しい」あまりに「人にも厳しい」タイプである。
 

 このタイプの人間によく見られる傾向として、自分の言うことを素直に聞き、自分を尊敬してくれる者に対してはこれを可愛がって思いやることが出来るが、少しでも自分に刃向かうような姿勢をみせる者に対しては過敏なまでに冷徹な対応をしてしまうというものがある。
 ましてその相手が、自分の一番「尊敬してもらいたい」相手である場合(主人公の場合はそれが自分の息子であったわけであるが)、それは「尊敬されるべき自分」が脅かされているものとしてとらえられるために、ほとんどパニックのような状態になる。
 当然、それが良い結果をもたらすことはない。


 このようにして積み重ねられてしまった不信と歪んだ感情は、そして一度つけてしまった心の傷は、そう簡単に修復できるものではない。
 それこそ本書のような大作の終わりまでかかって、ようやくその兆候がみえるかどうか、という、人の一生をかけて尚足りないくらい深刻なものなのである。


4.報道のあり方
 本書において強く印象に残る文章といえば、なんと言っても、本書の終盤持ち込まれたある1通の投書である。
 そこには、事件・事故に対する報道のありかたについての非常にラディカルな問いが投げかけられている。
 読者は、いや、著者自身も、この問いに対して答えることは不可能だろう。


 この点に関しては、もはや「組織」というよりは個々人の「信念」が問われる。
 本書の主人公は自らの信ずるところに従って行動し、始めて自分の意志で自らの道を選びとった。


5.「新聞屋」の矜恃
 本書は一般の人にとっての「新聞屋」入門でもある。
 勿論、本書の意図はそこにあるわけではない。
 だが、本書を読むことで、読者は「新聞屋」の現場を見、彼らの仕事に対する並々ならぬこだわりを知ることになる。

 
 特に、「抜いた」「落とした」という、業界用語が、単に何を意味しているかだけではなく、その事実が彼らにとってどれほどのものであるかを肌で体感することになるだろう。
 そこに、彼らの矜恃を、ひいてはその生き様をまざまざと見せつけられることになるだろう。


 また、もう1点、本書には「新聞屋」として非常に重要な要素が盛り込まれている。
 それは「ウラをとること」へのこだわりである。
 本書の中盤、追い込まれた立場の主人公に一発逆転の願ってもない機会が訪れる。
 業界の歴史を塗り替えるような「特ダネ」スクープ。
 どんなに無欲な者ですら飛びつきたくなるような金脈に対して、主人公は最後まで手を出すかどうかの判断を留保し続ける。
 何故か。
 「ウラがとれて」いないからである。
 「ウラをとること」に対する「新聞屋」のこだわりが強烈に印象づけられるシーンである。
 そして、ここまでこだわり、思い悩むからこそ、「新聞」の信頼性が担保されてきたのだという事実を、我々一人一人が改めて認識しなければならない。
 なぜならば、ここにこそ、報道の本質が現れているからである。


 本書を読むに辺り、その、各々の仕事に対する取り組み方や熱意などから、思わず『官僚たちの夏』を思いだした
 しかし、本書は彼の書とはまた異なる毛色の書である。
 彼の書が「古き良き(?)時代の回顧録」のような様相を呈し、専ら彼らの「仕事」に焦点を当てているのに対して、本書は「仕事」を通して見える「人間」を描こうとし、実際に描いている。
 従って、「小説」という意味では圧倒的に本書の方が優れている、といえる。
 物語の質も、本書の方に軍配が上がるというのは、私の偏見ではないだろう。


 尚、本書で描かれている1つの大きなテーマ「『全国紙』に対する『地方紙』の記者のルサンチマン」については敢えて本書の評として加味しなかった。
 著者の経歴を鑑みるに、あまりにもそれは著者自身との距離が近すぎると判断したからである。
 セカンドオピニオンが得られるまで、この点に関する私の評価は保留とさせて頂く。


■読了日
2011/04/02