何故私は結婚しないのか

私は結婚しない。
なぜならば、私は私と関わる人「すべて」と良好な関係を保ち続けることに自分の心の安定を見いだしているからだ。
「博愛主義」ではない。
先に述べた「結婚とはなにか」の定義に沿うと、私の選択は「誰とも深い関係を結ばない」決意表明となる。
それはとてもとても悲しいことなのだという自覚はあるが、愚劣なる私にはこの選択以外の選択が出来なかった。
そしてこれからも出来ないように思う。
そのような状態の自覚があるからこそ私は結婚をしない。
「誰かを選べ」という声に対して、私は「誰も選ばない。誰かを選ばなければならないのであれば、生きていかないことを選ぶ」と答えたというわけである。


仮に私が結婚をするとしたら、それは私が私であることを放棄したときであろう。
それはそれで十分に魅力的な空想であるが、<わたし>による私自身の監視から私が逃れない限り、そのような事態は起こりえない。
そしてそれは<わたし>の消滅、死を意味することであるが、それが果たして望ましいことであるか、<わたし>の監視下にある私には考えることが赦されていない。