結婚とは何か

1人の人と真剣に向き合い、関係を築き上げていく約束をすること、それが結婚である。


当たり前のことであるが、人間は生きている。
生きている人間は日々様々なことを思い、考え、表現する。
それらが積み重なってその人がある。


だから、ある人と真剣に向き合い、話を聞き、自分の考えを述べ、相手の考えを聞き、相手を尊重し、理解し、受け止め、受け入れてもらい、つまりきちんとした関係を築き上げることは並の労力では出来ない。
だから、ある日人は重大な決意をする。

わたしは このひとと けっこんする

それは膨大な数の人々の中から、ある特定の人を選び、その人としっかりとした関係を築き上げいくことの決意表明である。


思うに、過去男性が女性が「学を持つこと」を嫌ったのは、そして敢えて「愚かさ」を求めたのは、学び、成長し、高められた精神と向き合うことの労力を惜しんだからではないか。
一夫多妻制をとる社会で、女性の文化活動を抑制していた理由が何となく理解できるように思われる。


確かに、ただ一方的に「受け入れてもらう」だけの関係は、楽である。
ただ一方的に「受け入れる」ことを求められる側としてはたまったものではないが。
「学」のあるなしに拘わらず、人は生きている限り様々なことを経験し、考え、深みを持っていく。
そのような人がただ一方的に「受け入れなさい」という状況に耐えられるはずがない(勿論、耐えるべきでもない)。


従って結婚によって失うものは、選んだ相手の人以外の人との「互いによく理解し合い尊重し合う」関係を結ぶ機会である。
俗に「結婚するとつきあいが悪くなる」という現象はある意味健全な状態であると言えよう。
結婚によって両者はお互いを「最も理解し合い尊重し合う」ひととして選んだわけであるから。
1人の人間を真に「理解し、尊重する」ためには、その人の生きてきた時間、すなわち一生かかる。
他の人にかまけている時間はないはずだ。


結婚とは1人の人間を選ぶことである。
同時に、その人以外の人間を選ばないことである。
当たり前のことであるが、このことを忘れてしまうと、結婚はうまくいかない。