公教育の役割
- 作者: 鳥居徹也
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2005/06/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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著者:鳥居徹也
■評価:不可
情報:△ 新規性:× 構成:△ 日本語:△ 実用性:×
難易度:易 費用対効果:× タイトルと内容の一致:×
お勧め出来る人・用途 :なし
お勧めできない人・用途:これからフリーターやニートになる予定の人
■所感
「生涯賃金差3億円」はこの人が言い広めたのか。
ふたを開けてみたら、いかにも文科省と厚生労働省が飛びつきそうな「解りやすい」フリーター・ニートのネガティブキャンペーンの旗振り役の方の本だった。
なるほど、それで学校教育の場で、札束積み上げるような馬鹿げた「フリーター・ニート対策」が行われるようになったのね。
100万歩譲って、それが7割の人間に当てはまる事実だとしても、「だから何?」という反応が大半だろう。
では、そもそも何のためにそのお金が必要なのか、この人は語っていない。
足下を揺さぶることで何となく不安感を煽ってみたところで、そう簡単に人は動かないし、変われるものでもない。
それこそ、自身の理論的根拠とするところの側坐核にはなんら影響を与えないだろう。
既に若者の欲望は変容を遂げている。
さすがに生存に関わるようなことになればもう少し必死にもなるだろうが、今のこの国では(少なくとも直近では)それは起こりえないことである。
ただ何となくの不安で就職してみても、簡単なことで挫折してしまう。
長続きはしない。
(単に就職させることだけがゴールならばそれでもいいかもしれないが、著者の目指すところはそうではないだろう)
本来これはもっとマクロ経済的な視点から、考えなければならない問題である。
フリーターやニート(そしてパラサイト)の問題の本質は、彼らがその親の世代の蓄えを食い潰しているという事実である。
今この国のマクロ経済は、高度経済成長期の頃の世代が必死になって築き上げてきた貯金を切り崩す形で国民が「豊かな」生活を謳歌しているという状態である。
勿論、貯金はいつか底をつく。
その時までに次の世代が自分たちで新しい価値を生み出し、グローバル経済の中でそれを提供していけるようになっていなければ、この国は今自分たちが「可哀想」と見ている国のような状態になる。
尤も、現在の若者以降の世代が本当の意味で「解脱」して、本当に何にも求めない「悟り」の境地に至っているとすれば、それは問題にはならないが、現在のそしてこれからの世代の人間の質がこれまでの世代の人間よりも洗練されていることを期待することは、この国で地震が起きなくなることを期待しているに等しい(現在「経済成長」を批判し、「新しい価値観」なるものを提唱している評論家は自分たちが主張していることの意味を本当に理解しているのか?)。
人間が「動物」以上のものになれると考えることは愚かである。
と、それはあくまで「国家」の都合で、「個人」としては、結局「どう生きるか」の問題である。
最終的に、「はたらくこと」が「どう生きるか」に結びつかなければ少々無理をして「正社員」になってみたところで長くは続かない。
これまでは「とりあえず就職」してから考えればよかったが(そしてたいていの人間が家族を持つことで否が応でも「はたらくこと」が「どう生きるか」と直結することになっていたが)、終身雇用・年功序列が崩壊した現在のこの国の経済社会システムの中では、働きながら考える、ことが許されなくなっている。
しかし我々は動物であって機械ではないので、「側坐核」が刺激されるようなサイクルを作らなければ長続きする働き方は出来ない。
その意義は個々人で見出さなければならないが、その「気づき」を与える努力を「公教育」がもっとすべきである。
札束を積み上げている場合ではないのである。
1点だけ。
「最初の上司が大事」という点は、確かにその通りであると思った。
ただこればかりはどうにもならない側面があるので、メンタルの面でのバックアップを国も企業も考えなければならない。
それでもこぼれ落ちてしまった人の再チャレンジの手配が必要なことは言うまでもない。