NHK連続テレビ小説 つばさ〈上〉〈下〉
著者:坂口 理子
原作:戸田山 雅司(脚本)


私は真瀬さん、好きだけどな〜
どういうところが?
いやぁ、不器用で無愛想でやさぐれた感じが・・・。


はいはい。


ちりとてちん』の小説には正直失望したが、こちらの小説版はなかなか良かった。
やはり書き手の力量の違いか・・・。


この作品の表のテーマは「家族」、もう1つ隠されたテーマは「抑圧」或いは「自分の感情と向き合うこと」。
どちらも私にとっては、目を背けたくなるようなテーマ。
しかし、それ故に、いや、それだからこそ、目をそらしてはならないテーマ。
必然的に私の批評の目は意地の悪いものになる。
中途半端な解決など見せようものなら、筋の通らない展開など見せようものなら、少しでもご都合主義的な部分が垣間見えようものなら、徹底的に酷評してしまう。
(例えばリリー・フランキーの『東京タワー』)


しかし、この作品は、今まで触れてきた中でも最も真剣に「家族」というテーマに向き合い、そして「自分」を見つめ尽くした、そういう作品であった。
ここまでも見事なまでの複雑なコンプレックスを設定した構想も見事だが、それを解きほぐすために登場人物達が各自の全力を尽くす有様も見事である。
勿論、現実はドラマのように全てが上手くいくわけではない。
むしろ失敗に終わることの方が多いだろう。
しかし、この作品で示されているような精一杯の生き方が出来たなら、結果が最悪な方に転んだとしても、後悔はしないだろう。


圧巻は「かなしい秘密」から「しあわせの分岐点」までの展開。
家族とは最も身近な存在であるとはいえ、やはり「他者」である。
この「他者」を理解し、受け入れることがどれだけ困難であるか(いやむしろ完全にそうすることが不可能であるということを知ることがいかに大切であるか)、そしてそれがどれだけの「痛み」を伴うものか、さらに自分と向き合う「覚悟」が試される場面であるか、これらの問いがここに凝縮されている。
人は多面体である。
そのある面だけを切り取って、その部分だけを許容するような関係では、いつか破綻する(運良くしなかったとしてそれは悲しい関係である)。
その人を、面ではなく、立体そのものとして受け止められるか、それが家族でいるということである。
批判をしないということではない。
否定をしないということですらない。
拒絶しないということである。
これは上っ面でどうにか出来るものではない。
全身でぶつかって、それでもその重さに或いはその鋭さに耐えられないかもしれない、そういう命がけのものなのである。
しかし、だからこそ、そのような関係は固く強い。


個人的なカタルシスは得られなかったが(真瀬さんが・・・)、それとこの作品の完成度とは別の話。
また1つ、私のフェイバリットが増えた。