東京レポート6-7

東京でお世話になった方々に挨拶をして回る。
そして2週間後には地元に帰り、同じように(今回はあまり人に会うつもりはないのだが)旧知の方々にご挨拶する。


気が済むまで書を漁り、書に読みふけり、そして・・・書を捨てる。
雀の涙ほどの蓄えを、残り日数を計算しながら蕩尽する。
以前は食べていたが、食べられなくなってしまったものを片端から食べる。


まるで死ぬための準備をしているかのようだ。
もし、このままいなくなるようなことがあれば。
まあ、死出の直前まで、送られてきたメールの返信を書いていそうな人間だからな。


別になんの深い意図もない。
私は(わたし)の命ずるままに行動しているだけだ。
その行き着く先がどこであっても、様々な逡巡の結果辿り着いた結論が結局、全てを終わらせることであったとしても、私は構わない。
今回敗北を認めた<わたし>には発言権はない。
尤も、<わたし>は既に答えを出してしまっているようであるが。


キリスト生誕の時に訪れた3賢者の名を与えられたというMAGIに例えるならば(執筆者の知識レベルの低さが窺い知れてしまうが)、<わたし>による「自壊」案が、提出されては否決され、を繰り返しているようなものである。
意外にも頑強な わたし 、がこれに真っ向から反対し、昔から意気地なしで優柔不断な(わたし)は、どっちつかずでおろおろしている。
この(わたし)が、時に<わたし>の教唆により自滅行為を試みようとし、時に わたし の泣き落としに屈して数の論理で<わたし>を抑えつけることに手を貸す。


分裂を意識してからこのかた、この3つの一致するところを未だ見たことがない。
最近になって<わたし>が、自分が引っ込んでいる方が早く目的を達成できそうだということに気付いて わたし の暴走を見て見ぬふりをしていることがあるが、肝心なところではしっかりと出てきてブレーキをかける。


それにしても、平静を装えるのは3時間が限度らしい。
それを越えるとあからさまに「逃げ」の体勢に入っていることが自分でも解る。
薬の効き目は4時間あるはずだが、心配性の(わたし)を眠らせておけるのはそれより遙かに短いようだ。


わたしが勝って、健全な、しかし凡庸で退屈な、生を取り戻すか。
はたまた<わたし>がついに勝利をおさめて満場一致で「自壊」決議を可決させるか・・・。
恐らくその日は当の私にさえ予告もなくやってくるのだろうが、今のところ肝心の私はそれに対して関心を抱いていない。

朝に死すとも可なり

(いくらそれが稚拙なものであったとはいえ)夢に挫折し、ライフワークが頓挫し、物語論を書き損ね、仕事に行き詰まった私には、もはや足枷の役割を果たすものがない。
まあ、もともとなかったのだから、改めて一切を「捨てた」状態に戻っただけなのであるが。


それほどまでにして傷つくことを恐れる(わたし)。
それほどまでにして成熟を拒み続ける(わたし)。
それほどまでにして他者を排斥し続ける(わたし)。
そのような(わたし)を蔑む<わたし>。
そのようなくだらない<わたし>の矜持のせいで、快から遠ざけられ、常に不機嫌な わたし 。


みんな、嫌いだ。

という駄文を、スーパーの半額弁当を頬張りながら書いていた。
・・・・・・。
残念ながら、まだまだ先は長そうだ。