機動戦士ZガンダムII -恋人たち- [DVD]

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結論から言うと、駄作。
カテゴリからいうと「富野論」に分類されるが、私はこれを富野の作品として認めない。


風の噂では、富野は『リーンの翼』をやることを条件に、この作品を引き受けたとか。
噂が本当であってほしい。
まったく(富野らしい)やる気が感じられない。


そもそも「Z」は私小説である。
文学で言えば、夏目漱石の「こころ」のようなものである。
主人公がさまざまな人間とのコミュニケーションを試み、「大人」を解ろうとし、最後に倒すべき敵を見つけたものの、力を使い果たして精神崩壊するという物語である。
つまるところ、人や「大人」に対するこのアプローチは結局行き詰まるのであり、結果としては破滅に突き進まざるを得ない。
それを著したのが「Z」ではなかったか。
従って主人公は、必然的に破滅しなければならなかったのである。


今回は、作品公開前から、「結末を変える」ことを公表していた。
すなわち、「破滅」以外の道を主人公に与えるということである。
(まさか、より派手な(それこそ「イデオン」や「ダンバイン」なみに)カタストロフィにします、という訳があるまい。少なくとも「ターンエー」を経た富野がそんなことするはずがないではないか)
であるとすれば、主人公には別のアプローチを与えるものだと思うのが自然ではないか。


だが、結局、最後の最後まで、その「オルタナティブ」は示されなかった。
主人公は相変わらず人と衝突し、青臭い論理を振りかざして「大人」に反抗し、その高い感受性の元に力を使い果たして・・・でも救われてしまった。
陳腐。
何とも陳腐。


しかもこの総集編(もはやこれはただの映像リメイクつきの総集編に過ぎない)、主人公が「救われる」理由をよりそぎ落としてしまっている。
ポイントは2点。
まず、1作目の「星を継ぐ者」にて、主人公の性格の悪さが際だつ。
(特に最初にMPをいじめているシーンなど)
それからもう1点。
2作目の「恋人たち」で、命がけで主人公を宇宙に送ったフォウが、その後ブランに撃たれて死んでいる様を見届けていない。
(ニュータイプなのにフォウの死に気がつかないはずがないが、それを思わせるようなシーンがまったくない)
これだけでも視ている方としては、「こんな主人公、救う必要があるのか?」と思ってしまう。


本筋は以上のように完全な落第点である。
では、傍流はどうか。
例えば主人公のライバルであるジェリド・メサ
本作では彼の存在が余りにも中途半端にしか描かれていない。
彼は主人公に自らの大切な仲間を次々と殺されていくことで主人公への憎しみを募らせていく重要な位置のキャラクタなのであるが、肝心の彼の仲間たちは皆非常に「あっさりと」死んでいき、彼自身もほとんど主人公と絡むことのないまま宇宙の屑となってしまう。
ここでも、主人公の人間性が問われる。
つまり、主人公は彼の怒りや憎しみをまったく受け止めることのないまま、彼を葬り去ってしまっている(というように編集の結果見える)のである。


その他登場人物の扱われ方について、よほど前キャラクタの表をかいて○×をつけていこうかとも思ったが(例えばサラ・ザビアロフは何故か運のいいキャラクタで、きちんと彼女の物語に関しては起承転結がしっかり描かれていた。対照的なのはロザミア・バダムで、彼女に関しては何者かまったく不明なまま殺されておしまい、となっていた、など)、肝心の本筋に評価すべき点がないので、それも徒労だと思い、やめた。


ともかく、富野は例えどのような条件が提示されていたにしても、本作に手を染めるべきではなかった。
富野作品の数少ない汚点の1つを作ってしまうことになったのであるから。
真に富野を理解している(と自負している)私としては、本作を富野の作品とは認めない。