書名:リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか
著者:東浩紀, 大塚英志


良書。
この組み合わせは前から気になってはいたが、やはりお互いに相手を意識して仕事をしていたようだ。
これだけ前から対談を重ねているとは知らなかったが。
(何せ雑誌は全く読まないので)


本対談は、奇しくも東氏が『動物化するポストモダン』で描いたかのような構図となっている。
大塚氏が「まだ失われた大きな物語に未練のある」世代で、東氏は、「既に大きな物語を必要としなくなった」世代という構図を描くことが出来る。
(実際には、両氏ともそれぞれ上記の世代よりはやや上の世代にあたるのだが、両氏ともに自分よりもやや下の世代を代表するような言論人であるが故に、上記のような構図となっている)
大塚氏が、ことあるごとに東氏に「公」へのコミットを求め、何らかの「大きな物語」への統合がなされることを期待するのに対して、東氏はそもそもそのような「他者」との関係性の構築に懐疑的である。


私個人は、東氏の述べるような「既に『大きな物語』は機能しない」という立場であり、読み進めるにあたって、大塚氏の発言よりも東氏の発言に同調することが多かった。
が、しかし、である。
東氏が「動物化」する「オタク」たちを「そのままでいい」と擁護する立場をとっているとは本書を読むまで気がつかなかった。
(『動物化するポストモダン』は批判の書であると思い、そのように読んでいた)
私は、「共産主義思想」のような物語を再構築することは不可能であるが、何らかの「大きな物語」あるいはそれに相当するものが必要である、つまり「動物化」には反対の立場であったから、この点は少々ショックであった。


それにしても。
東氏の理論が、大塚氏の「物語消費論」の換骨奪胎であったとは知らなかった。
(大塚氏の書はこれまで『物語の体操』しか読んだことがない。あとは、『戦争と平和』という富野氏との対談本くらい)
大塚氏の本を読む必要があるな。


・・・・・・。
相変わらず「書評」になっていない。


本書は、「動物化しつつある現代のオタク」が、1つ上の世代(つまり大塚氏の世代)にとってどのように受け止められているか、「オタク」の社会化はいかにしてなされるべきか、などといった問いに対して良い思考の土台を提供してくれる良書である。
現在この国では、アニメーションを筆頭に、サブカルチャーが我々の考え方に大きな影響を与えている。
(何せ首相がマンガ好きを公言するような国である)
そういう意味では、本書の議論は特定の「オタク」に限らず、現在の若者を考える上で有意義なものであると思われる。
ただし、本書は、前提知識を要する対談本であり、少なくとも東氏の『動物化するポストモダン』を読み、内容を理解した上でないと、本書で語られている内容は理解できないと思われる。
従って、本書の前に『動物化するポストモダン』を読んでおくことを強く勧める。