私は、結婚は、しない。

(いや、別に本は関係ない。前に読んだ本のことを思い出しただけ)


だって、こんなわがままでひねくれていて神経が過敏で身体が壊れていて、無能で反応が鈍くて感情が鈍磨していて人と話している時間よりも明らかに活字と話している時間が長いような人につきあわされる人は可哀想ですよ。
私?
この人はちっとも可哀想ではない。
すべて自らが招いた業である。


離れているからこそ美しい。
離れているほどにその美しさはますます洗練され、理想化されていく。


過度に相手を理想化することは、恋愛関係や結婚生活を破綻させる最も危険な要因である。
近づくことで、相手の汚い部分が見えるようになる。
幻想は打ち破られ、高く舞い上がった気分は地に叩きつけられ、愛は憎しみに変わる。
築き上げていたイメージが美しければ美しいほど、幻滅も大きい。
それだけ破綻の危険性も高くなる。


直近の読了本で言えば、かの遠藤周作(つまらない本だった)も過度の理想化に対して警告を発していた。
しかし、それはあくまで、「結ばれる」ことになる人たちにのみあてはまることである。
私にとってはその忠告は何の意味も持たない。


近づきたいという欲求はある。
だがそれ以上に、相手の美しいイメージを保ちたい、美しいものを見ていたい、その気持ちの方が強い。


人と距離を保とうとする人の中には、相手のイメージを美しいままで保ちたい、という願望と、自分のイメージを美しいままで保ちたいというナルシシズムの両方がある。
そして、後者が圧倒的に強い。
私も後者の感情が強すぎたのだろう、ということは認めざるをえない。
だが、そのような誤った自己幻想は、とうの昔に破れている。
まだ旧習を完全に撤廃するにはいたっていないが、徐々に自分がどう見えるか、という点に関してはどうでもよくなってきたし、行動にも徐々に反映されてきたように思える(他人から見ればまだまだかも知れないが、自分ではそうとう改善していると思う)。
既に幻想は破れ、その反動で大いに卑屈になっているのだが(それは自業自得)、これは良い方に改善されていくだろう。


だが、他人に対して美しいイメージを抱いていたい、という方はまだ諦めていない。
天使にはいつまでも空を飛び続けていてほしい。
つまらない欲望のために地に引きずり下ろすようなことだけはしたくない。


だから私は、相手から近づいてくること(すなわち自分のイメージが脅かされること)に関しては、以前のように拒絶するようなことはないだろうが、自分の方からは敢えて相手に近づこうとはしない。


美しいものは美しいままで。
そのままで。
いつまでも。
永遠に。