ようやく仕事に余裕が出てきたので、だいぶ前に「業務として」行ったエニアグラム分析なる性格診断の結果を読んでみた。(アンケートは実行して分類は見ていたのだけど詳細を読む暇がなかった)
まあ、完全に予測の範囲内で。
当たり前か。
ただ、この手のもの(性格診断とか占いとか)って、自分が思い込んでいたのと違う結果が出たりして、その意外性を楽しんだり新たな発見があったり・・・しないのか?
まあ、いいや。
結局この人は、「完全主義者」で、6割が理性の「研究者」、4割が感性の「芸術家」らしい。
(一応「研究者」が10で、「芸術家」「完全主義者」が8)
まったくの予想通り。
ていうか、自意識過剰なんだよ。
自己分析のやりすぎ。
(ブログ書き始めてから尚のこと自分のことがよく解るようになってしまった。恨めしい)


「完全主義者」「研究者」と「芸術家」は真っ向から対立しているように見えるが、まさにその通りで、私は結局両方の世界に片足ずつ突っ込んで両方の世界の素晴らしさを思い知らされつつ、そのどちらにも徹することが出来ず、そのどちらの才能も中途半端という、最も幸福から遠い人格なのである(勿論これは私が最大限にネガティブな考え方を持っているからこういうとらえ方をするのであり、人によっては「両方の世界が解る」というポジティブな側面を強調するかもしれない。だが、その素晴らしさだけ解って、それが手に入らない(己が無能であるばかりに)という状況に置かれてみれば、私が自身の人格について抱いているネガティブなイメージが少しは解るはずである。ものすごく身も蓋もないたとえをすると、贅沢の楽しみを知ってしまった人が、貧乏である状態と同じと考えればよい)


で、「完全主義者」「研究者」を理性的側面と捉えるならば、理性と感性の比率は18:8=9:4となり、だいたい自分が普段認識している3:2に限りなく近い比率となる。
本当はこの比率は1:10くらいが私の理想。
理性なんて何の役にも立たない。
感性だけで生きていたい。
たとえ理性の不足によって命を落とすようなことがあったとしても、こすっからく生き延びたところで何の意味もない。
もしそれがかなわないならば、次善は10:0である。
完全に理性の塊となって、芸術はおろか、人の感情すら理解しない完全なロボットになってしまいたい。
そうすれば手に入らないものに渇望することなく日々を淡々と刻んで行くことが出来る。
勿論そんな人間はいない(前者は結構近い人がいる気がする。羨ましいことこの上ない)。
誰しも感性と理性とをある程度の比率で備えているわけであるが、この人の偏り方は絶妙にひどい状況にある(と自分で言う辺り、やはり自意識過剰)。
もっとも、それはもうどうしようもないので(感情を殺すことには既に失敗した。これからはこの壊れた人格と体で生きていくしかない。自らのまいた種は自ら刈り取らなければならない)、これ以上愚痴るのは止める。


特別に勧めるわけではないが(あまりいい解説やアドバイスも載っていない)、興味がある方は以下のアドレスから試してみると良い。
エニアグラム分析