イエスはなぜわがままなのか (アスキー新書 67)

イエスはなぜわがままなのか (アスキー新書 67)

書名:イエスはなぜわがままなのか
著者:岡野昌雄


読了は7/13だが、故有ってこの日に書評を書く。


良書。
nullus大絶賛(だが残念なことにnullusの影響力などカスほどもないので、売れ行きには貢献できない)。
昨年の新書No.1(勿論個人的な感想)は『生物と無生物のあいだ』だったが、本年はこの本になりそうだ。
「宗教もの」の新書は内容が薄っぺらく、かつ、著者の主観から語られるくだらない話ばかりだ、というこれまでの体験から導き出した法則を見事にひっくり返してくれた。


本書の優れている主張を以下に挙げる

  1. 「事実」と「真実」とは違うということ
  2. そして聖書に書かれている(クリスチャンが信じている)ことは「真実」であって、客観的・科学的に検証可能な「事実」とは異なる可能性があるということ
  3. キリスト教とは「道徳」ではないということ(大変勇気のある発言だ)
  4. 「善悪」は卑小である人間の力では到底わかり得ないこと
  5. 誤謬のない「絶対」なものは「神」以外存在しないこと
  6. 従って自らの信仰を「絶対」だとすること、人が自らの基準で「善悪」を判断し、それを他人に押しつける行為は間違っていること(これも大変勇気のある発言である。クリスチャンとして)
  7. 宗教の利得は「ありのまま」の自分を自分が受け入れることができるようになることであるということ
  8. 「原罪」とは、「智恵の木の実」を食べてしまったことによって、人が自らの行為の「善悪」を考えなければならなくなったということ、すなわち「悪」を行うことが出来るようになってしまった(自然体で神の意志に従うことが出来なくなってしまった)ということ

以上のようなことを、解りやすい語り口で解説しているのである。


本書の効用としては以下の2点である。
もし多くのクリスチャンが著者の述べているような考え方・態度・行動をとるならば、我々は

  1. クリスチャンと平和的に共存できる
  2. クリスチャンを理解できる


前者に関しては、とにかくまず神の正義を振りかざして世界中に戦争をばらまいた、「ブッシュよ、本書を読め」と声を大にして言いたい。
何の宗教でも良いが、信者と他の宗教の信者、或いは無宗教の者が平和に共存していくためには、宗教の信者が本書のような理解をし、態度をとる必要がある。


そして、その信者でない者が、信者の行動を理解するために、本書が必要である。
(しばしば誤解が必要以上の排斥や差別を産む。そうすると彼らはまとまらざるを「えない」。そうして対立が生まれる)
特に宗教に関する理解の浅い日本人はすべからく本書を読むべきである。


尚、あとがきで著者が、述べているように、本書が解りやすい内容になっているのは、著者の聞き手となったゴーストライターのおかげというのが多分にある。
(ちなみにこの暴露は著者の誠実さを表しており、大いに尊敬に値する)
しかし、そもそも著者の語りが解りやすかったという点も大きいだろう。


ちなみによく間違われるので断っておくが、私は「クリスチャン」ではない(家族は未だにそう思い込んでいるかも知れないが、それは私の知ったことではない)。
どの宗教にも大きな興味関心を示して本もそうとう読んでいるが、残念ながら「信仰心」なるものがまったく芽生えないのである。
なにせニヒリストなもので。