至福の時は歩いているときに訪れる。
常なる痛みから解放される睡眠時も至福の時に値するのであろうが、如何せん熟睡時にはそれを感じる主体としての「私」がいない。
そもそも私は昔から寝ることがそう好きではない。
起きた後の「時間を無駄にした感」からなかなか解放されないのだ。


気温は20度を2〜3度上回るぐらい。
軽く汗ばむ程度。
湿度はやや高め。
雨上がりの今日ぐらいがちょうどいい。
適度に自然がちりばめられているような環境。
人工物の中の畑、あぜ道。
但し、アスファルトで舗装されていること。
足下を気にしていては本が読めない。


そう、最も重要な条件は本が読めること。
本はソフトカバーのやや大きめの本で(新書だと気を緩めると頁が閉じてしまうし、風に弱い)、内容もやや難しめ。
易しめの哲学とか、数字や数式の少ない経済の本なんか最適。
今日は野口悠紀夫の新著『戦後日本経済史』を読んでいた。


そして音楽。
刺激の少ない、かといって完全にバックミュージックとして消え入ってしまわない、ややアクセントのあるクラシックが最適。
例えばチャイコフスキーの『悲愴』。
greensleevesのピアノソロバージョン。


失楽園がなんだ。
私にとって至福の時は、身体が心地よさに鎮まり、精神が新たなる知の歓喜に包まれている読歩の時以外に考えられない。
勿論、その悦びの絶頂で、そのまま死すとも悔いはない。


これが許されている間は会社を辞めることはないだろうなぁ。
そのようなことを漠然と考えていた。