書名:ひとは情熱がなければ生きていけない(勇気凜凜ルリの色)
著者:浅田次郎


「ひとは情熱がなければ〜」と銘打ってあるが、後書きでも解るように著者の主張は「ひとは情熱があれば生きていけるものだ」というもの。
毎度不可解な編集の怪は放置して・・・。


良書である。
この人のエッセイ、『勇気凛々ルリの色』は非常に面白かった。
(同書の存在を教えてくださったゼミの先輩に感謝)
また、とても勇気づけられた。
あれだけの作品を書く才能の持ち主が、これほどの努力と苦労をしていたのだという事実は、ろくに努力もせずに自分の非凡さを嘆いていた当時の私に蹴りをくらわせ(彼のエッセイを読んだ人ならばこのニュアンスが伝わるだろう)、完膚無きまでに叩きのめした後に、手を差し伸べて、もう一度何かに一生懸命になることの大切さを教え諭してくれた。
努力の痕跡を見せないことがその人の格の高さを示すこととなることを知りつつ、敢えて自身の苦労を語られたその誠実さに敬意を表したい(単に誰かに話したくてしようがなかったのかもしれないが。それにしても脚色を抑えて(たぶん)事実をそのままに語ることは容易なことではない)。
きっと多くの人がこのエッセイに力づけられたことだろう。


その『勇気凛々〜』と比較していささかボリュームに欠け、寄せ集めなので重複している記述が散見するが、それでも付箋だらけになってしまうほど珠玉の言葉がぎっしりと詰まっている。
彼の著作のファンの人も、またそうでない人も、是非。


冒頭の三島由紀夫との邂逅(実際には「会って」ないから邂逅とは呼ばないかもしれない)の話も興味深かった。
私は以前から勝手に自分の中で川端→三島→浅田という継承を思い描いている(根拠はなにもない。作風も似ていない。川端と三島の間にはただならぬ確執があったというし・・・。ただ、なんとなくそうだったらいいなぁというレベルのいい加減な文学論)ので、浅田氏が三島を強く意識して作家になったというエピソードを感慨深く読ませていただいた。
(どっちの方が、といわれると困るが、三島も好きな作家である。強いて言うなら日本語の美しさとアクの強さなら三島、物語の美しさと人情なら浅田、というところか。川端は嫌いではないが印象が薄い。日本語は流麗だったと記憶しているが)


優れた日本語を書く人の文章を読むことは勉強になる。
特に浅田氏は漢文に通暁されているのでPCの辞書が変換出来ないような漢語を多用されるが、その度にそれを調べるだけで相当勉強になる(この話がゼミの先生の耳に入ると嘆かれるな。中国史を専攻していた者としてあまりにも不勉強。穴があったら入りたい)。
そういえばこれだけ漢語・漢籍・歴史に通じている割には中国史を題材にした書が少ないな、とは思っていたが、本書を読んでその理由が解った。
なるほど、そういうことだったのか。
(気になる人は読むのだ)


自衛隊経験に基づく「落ちこぼれをなくせ」という教育論にも納得させられた。
『歩兵の本領』読まなきゃ。


それにしてもこの人のエッセイは痛快だなぁ。
ラスベガスで賭け事にのめり込むような人が、どうしたら『ラブレター』のような美しい物語を編み出せるのだろうか。
不思議だなぁ。
でもなんとなく解るなぁ。
この人の内面の美しさが伝わるなぁ。


エッセイの評らしく、あっちゃこっちゃ話が飛んだけど、要は読めということ。