太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

書名:太陽の塔
著者:森見登美彦


会社の同期の方から貸していただいたのでおとなしく読んだ。
感想は二つ。
一つ、痛ましい。
二つ、非常に腹立たしい。


あらかじめ断っておくと、私は美しい物語が好きである。
国文学には美しい物語が少ない。
だから私は西洋文学ばかり読んでいる。


ファンタジーとあるが、少なくとも私にとってこれはファンタジーではない。
いつぞや書いたことがあるが、私がファンタジーの定義として挙げる条件は「性と排泄について書かない」である。
具体例を挙げるなら、『ハリー・ポッター』は私にとってかなり微妙なラインになる。
ゲド戦記』はファンタジーとして認めることが出来る(書き方次第というのは確かにある)。


で、本書。
痛ましいというのは主人公の失恋の痛手が痛いくらいに伝わってくるからで、それは読み進めていく過程でずっと感じていた(だから、帯の文句は確かに正しいのである。余計なお世話であるが)。
このような痛ましい作品を読んで笑えという方が無理な話である(別に笑えといわれたわけではないが)。
少なくとも私には出来ない。
私は(自分で言うのも何だが)人の不幸を笑うということがどうしても出来ない。
だから人の不幸や欠点や愚かさ、失敗などを題材にした、現代の(特にテレビで垂れ流されているような)コメディーやお笑いを見て何故これが面白いのかさっぱり解らない。
思わず吹き出してしまうことがあることは認めるが、後で強い後悔に苛まれる。
私はモラリストではないので、他人がそういうのを見て笑うことには何も感じないが、少なくとも自分は無理だと感じる。
おそらく神経が細くて感傷的すぎるだけなのだろうが、そういう体のつくりなのだからしようがない。


腹立たしいというのは2つある。
1つは本書の主人公で、この人の思考回路は私を非常にいらいらさせる。
以前にも『ダレン・シャン』を読んだときに書いたが、愚かな主人公の視点で語られる物語ほど私をいらいらさせるものはない。
おそらく私自身がそのような愚かさに陥っていた時期があるからこそ、なおさら憎いのだろう(何度も繰り返し書いているが近親憎悪)。
自分が正しくて世界が間違っているという思い込みは、私の定義によればニヒリズムの第1段階で、私は(少なくとも自分では)それを克服したつもりでいる(ちなみに自分の認識では今私はニヒリズムの第3段階にある)。
(↑第1段階とか第3段階といった意味不明な自分用語について知りたい希有な方はHPを参照されたい)


また、強迫観念のように「クリスマス」という言葉を敵意を持って繰り返し口にしたり、幸福そうなカップルを見て憤りに駆られたりするのもニヒリズムの第1段階の特徴。
要は羨ましいだけなのである。
繰り返し自分に言い聞かせているのはそうしないと自分の中の不安や不満を押さえつけられないからで、幼稚なのにもほどがある。
他人の幸福を喜ぶことが出来ないのも幼稚さの証。
もっともこっちの方はなかなか難しいんだけどね。


喪失の哀しみにしても、一度しっかりと受け止めて、必要に応じて泣いたり、落ち込んだり、追いすがったり、慰めてもらったり、という経緯を経ないで無理に抑圧しようとするとかえってとんでもないところから漏れ出したり暴発したりする(現に主人公は諦めきれずにつきまとっているではないか)。
要は、これらの感情から逃げてはならないのだ。
プライドが許さないと言うが抑圧した感情が漏れ出したり暴発したりする方がよっほど見苦しい。
そもそも、恋愛とは己のプライドを(少なくともその対象に対しては)捨てることなくしては成立しないのであり、破局の段階に至って突然自分だけプライドを取り戻そうとすることは見苦しいことこの上ない。
スピッツだって歌ってる。

初めてプライドの柵を越えて


渚 by スピッツ

そんなに自分のプライドが大事なら恋などしなければよいのであり、してしまったのならあっさりとその件に関してはプライドを捨てるべきである。
それが出来ないようでは恋愛をする資格など無い。


とまあ、こんなことを考えていると次第に著者に腹が立ってくるのである。
そもそもなんでこんな作品を書いたのか。
主人公が阿呆で唯我独尊で周囲に多大な迷惑をかける妄想癖の持ち主であるという作品は他にないわけではない。
例えばかの有名なドストエフスキーの『罪と罰』などまさにそうだ。
しかし、彼の作品には愚かな主人公にも思想があり、またその愚かさ故に起きた事件と周囲の人間との関わりや会話から大いに学ぶべきことがあり、愚かさには相応の報いが与えられるなど物語としても完結している。
しかるに、この作品などは、ただただ愚かな主人公の愚かな妄想と行動につきあわされるだけで、結局何一つ学ぶところも物語としての展開もない(時間軸で整理すると、おそらく出だしからほとんど進んでいない。これを物語と呼ぶにはいささか無理がある)。


だから最初の話に戻るのだが、著者はこれを読んで笑えといってるのだろうか、という話になるのだ(だって他に考えられる要素がないでしょ)。
で、大変申し訳ないのだが、私はこの手の話では笑えないのである。
むしろ愚かな主人公に同情し、愚かな主人公がますますその愚かさを増長させるような文章を書く著者に腹が立ってくる。


最後にやや郷愁めいたくだりがあるが、私としては最初からそういう雰囲気の小説を読みたい。
結局は趣味の問題かもしれないが私は美しい物語が好きで、本書は美しくないのである。
まる