女になりたがる男たち (新潮新書)

女になりたがる男たち (新潮新書)

書名:女になりたがる男たち
著者:エリックゼムール, ´Eric Zemmour(夏目幸子:訳)


この手の本にはさんざんひどい目に遭わされてきた(つまり、時間の無駄、時間の無駄、ストレス蓄積)のだが、珍しく当たりに行き着いた。
この本だけでなく、今年は読んだ本に当たりが多い。
なんかいいことあるかも。


この本はフェミニズム糾弾の本である。
糾弾と言うよりはどちらかというとシニシズムの本というべきかもしれないが(もう、手遅れだよね、どうしようもないよね、という雰囲気が漂ってはいる)。


私は個人的にフェミニズムを攻撃の対象としてきた(6年ほど前から)。
理由は以下の3つである。

  1. フェミニズムは大半の女性の意見を代表していない(心底社会進出したいと思っている女性はフェミニストが主張している数よりも遙かに少ない)
  2. 「社会」そのものが(ジェンダーで定義される)「男性」的なものであり、そこにはフェミニストが要求しているような価値あるものなど何もない(賢い女性は男性が作り上げた「社会」には何もないことを始めから知っているのでそれを求めたりはしない) →従って実際に権力を持とうとする女性はどこか「男性」的である ←逆に、社会で権力を持つためには「男性」的でならなければならない ∴ということは女性が社会進出するということは(ジェンダーで定義される)「女性」が一斉に「男性」化することであり、それは社会の不安定さ(男性は精神的に不安定である)を増すことになる
  3. フェミニストは男女の差異を消滅させようともくろんでいるが、男女の差異は「物語」の基礎をなす最も重要な差異であり(幼児向けの絵本ですら男女の差異を完全に禁止するとほとんどの物語は成立しなくなる)、従ってフェミニストはこの世界から「物語」を消滅させ、そのことによって人間を消滅させようとしている


3つと書いたが、2番目をもう少し分解するべきかもしれない。
1.と2.に関しては6年前からずっと主張してきたことで、3.はごく最近になって加わった見解。


ところが著者は(ここでやっと本の話に戻る)、私が2.で指摘したことのまったく逆の現象が発生していると述べているのである。
すなわち、「女性」が社会に合わせて「男性」化する代わりに、社会の方が女性に合わせて「女性」化し、生物学的にも心理的にも生涯女性に対して頭が上がらない男性もまた、フェミニストの影響を受けて「女性」化しているというのである。


確かに、著者の指摘通り、世界は急速に「女性」化しているように思う。
少なくとも先進国の間ではそうだ。
モデルや同性愛者の例はあまり納得がいかないが(単に流行がそうだというに過ぎないと私は考える。あるいはもっと大袈裟に考えるなら、帝国の末期に見られる退廃で、国民国家が衰退期に入っているのだと考えてもよい)、政治や男女関係、価値観などはまさにその通りであると思う。


問題はその先である。
著者の理想(おそらく「男性」が、フェミニストの糾弾する「マッチョ」的力をある程度取り戻すこと)は私の理想とは全く相容れない。
私は反フェミニストだが、セクシストでも父権主義者でもない。
だいたい、「マッチョ」なんて暑苦しくて愚かでとても見ていられないでしょ(そういう私も著者からすると「女性」化しているということになるのだろう。別に著者に好かれたいと思っているわけではないのでそれはどうでもいい)。
私がフェミニズムに反対するのは上に述べた3つの理由からであるが、その中でも最近は3.に重点を置くようになった。
私にとって大事なのは物語であり、そのための「差異」である。
だから、極端な話、女性が社会に出て「男性」になるのは構わないのだが、その時は男性が社会を捨てて「女性」になればいい。
全ての男性が「女性」化して、世界中が「女性」になるとその時点で差異が消滅して物語が消滅する。
私が危惧するのはその点だけである。


ちなみに、著者が心配するようなフェミニズムが原因の「少子化」や、移民に支配されてしまうことの危惧などは私にとってはどうでもよい。
極端な話私は人類が今の代で終わってしまっても構わないと思っている(物語さえ紡がれればよいのだから)。
とはいえ、そのうち生殖技術が発達して、その問題は解決するだろう(どうせ背に腹は代えられないのだから、今は神とか倫理とか言っている連中も認めざるをえなくなるだろう)。
それにしてもフェミニストは「男が性欲を失って生殖が行われなくなって世界が滅びる」的この人たちの発言に対して何か反論すべきではないか(今のところ聞いたことがない)。
例えばかつての原理主義キリスト教徒みたいにこの世界は一時的なもので性交は悪なのだから望ましいのは全く生殖を行わないで、1日でも早くこの世界が滅びてしまうことなのだ、とか。
あるいはこれから生まれてくる世代よりも今の自分の方が大事、私の尊厳を保つためなら人類なんて滅びても構わない、とか。


しかし、まあ、本書は今起こっている現象とフェミニズムが抱えている問題の一端を理解するのに読んでも損はしない本である。
読み物としても十分面白い(さすがは新聞記者)。
著者の展開する恋愛論も面白い(フェミニストが主張する通り女性を尊敬することにしたが、度が過ぎて性的対象としてみることが出来なくなった、愛と性欲とを不可分のものにしようとした結果「移り気」即離婚ということになり離婚率が上昇した、など)。
むしろフェミニストに読んでもらいたい。
そして怒り狂って(絶対怒り狂うだろう)もっと過激なフェミニズム理論を磨き上げて欲しい。
それはまた秀逸な物語になることだろうから。