ひまわり弁護士 (講談社文庫)

ひまわり弁護士 (講談社文庫)

書名:ひまわり弁護士
著者:村田信之


良書。


著者が大学時代の恩師(大隈塾のコーディネーター)だとはいえ、駄目な本ならば駄目だと書くつもりだった。
今まで一貫してきた私のスタンスである。
が、そのような私の構えは杞憂だった。


タイトルと裏表紙の説明から、かなり身構えてしまった。
この類の本には何度も失望させられている。
過疎の町にやってくる若者、困難な挑戦、閉鎖的な地域社会、数少ない協力者、自己犠牲と受容、事件、誤解とすれ違い、忍耐、さしのべられる救いの手、また忍耐、そして大団円・・・。
全てがお膳立てされている。
テレビドラマのように安っぽいシナリオ・・・。
本書もまたその範疇から逃れ得ないように思われた。
脳裏を横切るのは『だから、あなたも生きぬいて』(ひどい話だった)。


些か大袈裟ではあったが、そのぐらい斜に構えて本書を読み始めた私は、良い意味で期待を裏切られた。
まずは、著者の語り口である。
淡々としている。
いや、むしろ飄々とさえしている。
余計な力が入っていない。


告発の書であるならば、或いは檄文の類なら、このスタンスは零点だろう。
しかし、これはルポルタージュである(裏表紙にはドキュメンタリーとあるが、ルポルタージュの方が良いのでは?)。
あまりにもどちらかに肩入れした記述では読み手はひいてしまう。
小説とは違い、読み手が求めているのは客観的な事実である。
勿論、人の手によって書かれた以上、何らかの偏りがあることは避けられないのであるが、その偏りを出来るだけなくすことが著者には期待される。
つまり、著者に要求されるのはバランス感覚である。


現実には、絶対的な悪も絶対的な善も存在しない。
そのようなものは自らの存続のために大衆を煽り立てるマスコミに作らせておけばいい(書籍も広義のマスコミなのだろうが、ここではテレビや雑誌をイメージしている)。
繰り返すが、書き手に求められるのはバランス感覚である。


本書の著者はそういう意味では絶妙のバランス感覚を備えている。
勿論、切り口として、弁護士の側を選んだわけであるから(間違えても本書のタイトルは『地域社会の品格』や『町金融の知恵−ある日突然弁護士がやってきたら』などではない)、基本的には弁護士の立場に立つ。
が、だからといって必要以上に弁護士の側に肩入れするようなことはない。
突っ込むべき所はしっかりと突っ込む。
おかしいと思うところは流さずに問い詰める。
例えば、過疎地に若者を派遣することに関して、主人公を過疎地に送り込んだ弁護士に「『合理的』というならば、なぜ経験の浅い若者をいきなり1人で全てを担わなければならないような過疎地に送り込むのか、ベテランの弁護士が行くべきではないか」と問うている。
誰かの「理想の実現」のためには必ず犠牲になっている者がいるはずで、理想の提唱者にはそのことに対する合理的な説明が求められ、また何か起きたときには責任が生ずる。
著者は、理想の美しさに騙されてそのことを見過ごすようなことはしない。


また、本書は(あるべき)取材の基礎をしっかりと押さえている。
それは(量にするとほんのわずかでしかないが)弁護士がやってきた町の消費者金融に対する取材と彼らの言い分を(著者の一方的な非難で色づけすることなく)掲載している点に現れている。
ペンは一種の暴力である。
ある特定の人や集団、組織を悪と決めつけ、彼らの言論を黙殺することで彼らに損害を(それも火炎瓶を投げつけるよりも多大な損害を)与えることが出来る。
完全な公平は望むべくもないが(そもそも取材相手の態度にもよる)、可能な限り利害が対立する両者に取材をし、その両者の言い分を伝える(必ずしも厳密に公平でなくても良い。言い分をそのまま載せるだけではあまりにも芸がない)ことが求められるのだ。
その点でも本書は優れている。


読み物としても面白い。
先に私が本書のタイトルと裏表紙の説明から、陳腐なドラマ風の展開を想像しつつ本書を手に取った旨述べたが、実際には本書ではありのままの現実が語られていた。
ドラマチックな演出も奇想天外な出来事もなかったが、「これまで弁護士のなかった村に初めて弁護士が来た」という小さな投石が生み出す波紋が想像以上に面白い物語を生み出す。
これが、上述したように、著者の軽妙な語り口によって流れるように描写されているので頁も進む。


1点だけ難点を挙げるとすれば、「まえがき」で著者が述べているほどには、本書は「ムラの掟」について語ることが出来ていない。
「ムラの掟」との葛藤は、諸処に散見出来るのだが、全体としてそのテーマに沿った構成になっておらず、後付で少しその点について言及した、という程度にしかみえない(最終章)。
違うテーマでまとめた方が良かったのでは(例えば「社会運動の理想と現実」)と思った。