"Be elegant" in 2007 by はてなダイアリー が先週末届いた。
ので、早速読み返した。
自分の書いた日記を自分で読み返すことは・・・楽しい
いや、何か、ものすごいハイテンションで書いた馬鹿な記事とかあるから、読んでいて「こいつはなんて馬鹿なんだろう」と嗤うことが出来る。
自虐的とでもナルとでも何とでも言え。


まだ試したことのない人は試してみるといい。
別に「はてな」の肩を持つつもりはないけど、意外な発見があって面白いよ。


日記を本にして読み返すことには少なくとも以下の2つの意義がある。

  1. 内容の濃いインプットとなる
  2. 自分の文章を見直すことができる


1.に関して述べると、自分の日記は(特にもの書きや思想家にとって)最良のインプットである。
他の人の書いた本、古典、などは確かに良質のインプットとなりうるが、やはり自分という問題意識も思想遍歴も思考の癖も自分と同じ存在(違っていたら統合失調症です。この人はその傾向があります)が書いたものが、自分の考え方を深め、整理する上で最も有効なインプットである。
読みっぱなし、書きっぱなし、だと、同じところでぐるぐるぐるぐる巡回したり、或いは四方八方に拡散したりととても生産的とは言えない状況に陥る。
そうならないためには、節目節目で自分の考えを整理する必要があるが、そのためには自分が書いた日記が最良なのである。


2.に関して言えば、自分の書いたものを人に直してもらえる機会は大人になるとそうない。
自分の書いたものを自分で見直すしか自分の文章を磨く手段はないのだ。
しかし、書いたばかりの文章を自分で見直すという行為では、見落としが多くなる。
特に、「自分にしか解らない」用語の使い方、文章の展開に気づかない(この人はよくそれを確信犯的にやるんだけどね)。
少し時間をおくと(最低でも1ヶ月ぐらい)、自分の書いた文章でも他人の書いた文章のように批判することが出来る。
特に、実際の事件や行動も時間が経てば忘れてしまうことが多いから、時間が経って読み返した文章が十分な説明をしていないと、なんのことを言っているのか自分でも解らない。
そういうことが、自分の日記を読み返すことで得られる「気づき」である。


それにしても。
今回のひとり反省会は、時間がかかった。
いつもなら届いた日には読み終えてしまうのだが、何せ2007年の日記は510頁もある。
よくもまあこんなくだらいないことをこれだけ書いたものだ、というのが正直な感想(間違えても自分の文章を誉めるといったような愚は犯さない)。


特に、自分用語、自分ワールドははっきり言って意味不明だからこれを機会にやめよう、と固く決意・・・するわけないじゃん、この人が


↑上の文章の傍線部は悪魔が書いたものです。


なにやらまた外野が入ったが。
特徴的なのは、『Web時代を生きる』の懸賞応募用に書いた文章以降から、文章の質が改善しているということ。
それまでもこのブログで論文めいたことは書いたことがあったが、HPとは異なり、このブログはただひたすら思いついたことをそのままだらだらと書いて垂れ流す、という主旨だったので、碌に読み返しもせず、事実の検証もせず、文体の統一もせず、そして最も肝心な「読み手のことを考える」という配慮に欠けていた。
それが、急に人に読まれることを意識しだしたらしい。
これは、悪いことではない。
文章の質は出来れば高めたいと思っているから、これからも人に読まれることを前提にしてより自分の文章に磨きをかけていこうと思う。


2007年は暗い1年だった。
今年を特に明るい年にしようとは思わないし、この人の性格からいってそれは天地がひっくり返るようなことであるからまあ、まずそんなことはないのだが、少なくとも2008年12月31日に今年の総括をする時には、自分を納得させるような収穫があるような年にしようとは思った。
さあ、勉強、勉強。


追伸

「カテゴリー」記法を始めました。
これで、筆者の無駄な文章につきあうことなしに、興味のあるジャンルだけ読むことが可能になります。
筆者も出来るだけカテゴライズを意識した文章を書くようにいたします。
左袖のメニュー下からカテゴリーをクリックするとそのカテゴリーに分類されている記事だけが表示されます。
/以上