01/20である。
突然偉そうなタイトルだが、これはあくまで内容に相応しいタイトルなだけであって、私がそういう行動を取るということではない。
だいたい、1年間就職留年してようやく内定が出たような駄目人間に職を選べるだけの能力なんてないことは自分が一番よく解っている。
それが身体の不調から単に元気がなかっただけなのだとしても、いやそれだから尚更、少なくとも今は与えられた職にしがみつくしかないのである。
健康状態が優れず、精神状態も不安定な(精神は安定しているけど神経は安定していないみたいだ)人が就職出来ただけでも僥倖なのだから、それ以上を望むのは間違っている。
私は卑屈だろうか。
恐らくそうなのだろう。
だが、「実力を最大限に発揮しうる環境」などは望むだけ無駄なことであり、みな条件は同じなのだから(少なくとも私は分類上は「健常」なのだから)、今の状態がそのまま私の実力なのである。
これはもう受け入れるしかない。


最近、「作業」に従事することが多い。
統合の担当になってから尚のこと「作業」が増えた。
「作業」そのものは厭ってはいない。
それも立派な「仕事」なのだから、与えられた役割は果たすのみである。
それに、役割が与えられたということは、自ら台無しにしてしまわない限り(私は昔からよくこれをやる)、職を解かれるというリスクは少なくなったということである。
(この御仁は入社から1年も経とうとしているのにまだ自分が解雇の対象にある使えない人間だと思い続けているらしい。よほどえらく自信を喪失しているとみえる)


手順さえ覚えれば誰にでも出来る作業なのであるが、とりあえずいなければ作業に差し支えるというところまでコミットしたことになる(まあ、開発現場ではそれぞれ何らかの役割を持っているので誰が欠けてもそれなりに差し支えが出る。従って、どちらかというとようやく「勝手に休まれては困る」ような半人前になったということである)。


で、作業である。
しかもスケジュールが押しているので毎晩遅くまでかかるのである(といっても私はチームで最も早く帰る。神経が持たないので)。
そして疲れと寒さと単純に寝る時間が遅くなったということから、起きる時間が遅くなり、だからといって朝が苦手なこの人の身支度が短縮出来るはずがなく、結果、出社が遅くなるという悪循環にはまっている。


配属以来毎朝早めに出社して自習をしていたのだが、ここのところそれが全く出来ないでいる。
昼休みにも英語の勉強などしていたのだが、それも出来ていない。
最近は、昼休みは寝ているか、作業を続けている(お昼をしっかり摂るということはだいぶ前に諦めた。仕事にならないので)。


仕事が始まれば悠長に勉強などしている場合ではないということは解っていたのであるが、いくらなんでもこれは極端である。
私がこの業界に入ったのは、この産業に携わりたかったからでもなければ、プログラムがかきたかったからでもない(似たようなことはここにも書いた)。
技術を身につけたかったから、である。
その技術とは自分のライフワークに必要な技術(Web技術)と自分が食べていくのに必要な技術(職歴、ではなく技術)である。
勿論それは一朝一夕に身につくものではない。
また、ここは学校ではないから勉強のために仕事をさぼるわけにはいかない。
だが、さすがに日々の作業に埋没しなければならない状態を堪え忍ぶほど「生活」に執着はない。
今はまだ仕事から学ぶべきことがたくさんあるから黙々と作業をこなすが、学ぶべきことがなくなったときにまだこの状態なのであれば、ここに居続ける理由はない。


会社が個人の面倒を一生見続ける時代は終わった。
競争はグローバル化している。
特にこの分野は若い人ほど優れた感性を備えている分野である。
常に自分に技術と知識・経験を身につけていかなければすぐに淘汰される。
スキルアップが望めない場からは早急に移動しなければ、そのうち自らの安売りを繰り返さなければならない惨めな立場に追い込まれる(そういう事例をいくつか見てきた)。


配属面談で人事室長が言っていたことが今頃になってようやく解ってきた。
「まあ、2年だな」、というのは2年もあればプログラムはマスター出来る、という意味ではなく、2年も開発の現場でものを作っていれば、新しく学ぶべきことが一通りなくなるという意味だったのだろう。
私の場合、見た目よりも実は不出来な人間なので(最近はさすがに減ったが、何故か優秀だと勘違いされることが多い。読めば解るとおり、ただの天然でっせ)、自分の中ではそれは5年だなと思っている。
勿論、早いに越したことはない。
学ぶべきこと全てを学び尽くしたら次の場所に移動する。
出来るかどうかは別にして。
しかし、今しばらくは「忍」だ。


それにしても。
身体が治らないことには学ぶべきものも学べない。
どうにかならないものかね。